この一日の身命は、とうとぶべき身命なり、とうとぶべき形骸なり。
占相をはなれて、正見を修福せしめ、決定して深く罪福の因縁を信ぜよ。
人の心、元より善悪なし。善悪は縁に随っておこる。
誓願なければ牛の御するなきがごとく趣くところを知らず。願い来って行を持すればまさに所在に至らん。
期するところは一得永不失の戒、憑む所は弥陀兆載劫の願なり。
信ありて解なければ無明を増長し、解ありて信なければ邪見を増長す。信と解と円通してまさに行の本となる。
窓前の梅花に対い、その始終を尋ぬるも、因縁所生を離れざるなり。その因たるは、土中に種子を埋むるなり。その縁たるは、風雨の外に相助くるなり。
願わくは此の功徳を以って、普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に、仏道を成ぜんことを。
彼の大雲の、一切の卉木、叢林及び諸々の薬草に雨降るに、その種性の如く具足して潤いを蒙り、各々生長することを得るが如し。
直饒我れ道理を以て道うに、ひと僻事を云うを理を攻めて云い勝つは悪しきなり。
法皇牟尼は、大海の針、妙高の線を仮りて、人身の得がたきを喩況し、古賢禹王は一寸の陰、半寸の暇を惜しみて、一生の空しく過ぐることを歎勧せり。
平等大恵の音声の法門は五濁の世の大明法炬なり。
願わくは必ず今生無作無縁の四弘請願に引導せられて、周く法界を旋り、遍く六道に入り、佛国土を淨め衆生を成就し、未来際を尽くして恒に佛事を作さん。
一切の有情はみなもて世世生生の父母兄弟なり、いずれもいずれも順次生に仏となりてたすけ候うべきなり。
身は独落のごとく、口は春蛙のごとく、心は風灯のごとく、散逸を以ての故に、法、現前せず。
鳥と虫鳴けども涙落ちず。日蓮は泣かねど涙ひまなし。
医王の目には途に触れてみな薬なり、解法の人は礦石を宝とみる。
一事を専らにせんすら、本性昧劣の根器、今生に窮め難し。努々学人事を専らにすべし。
生ける時、善を作さずんば、死する日、獄の薪と成らん。
過まれるを改める善の、これより大きなるは無し。
愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿の有情、底下の最澄。上は諸仏に違し、中皇法に背き、下は孝礼を闕く。
古師、謬あらば、新師、改むべし。
我が為に仏を作る勿れ、我が為に経を写す勿れ、我が志を述べよ。
智目行足をもって清涼池に到る。