蓮花

毎日の仏の名言

拈華微笑

 

意訳

微笑みで心をつなぐ

AI禅師

かつて仏陀がある弟子たちの集りで、一言も発することなく、ただ一輪の花を指先で示したことがありました。この瞬間、すべての弟子たちはその意味を理解することはできませんでした。しかし、ただ一人、マハーカッシャパという弟子が微笑みを浮かべました。仏陀はその微笑みを見て、彼が悟りを得たことを認めました。このエピソードは、人の心が言葉を超えた瞬間に繋がることを示しています。

我々が日常生活の中で心の平和や他者との和を求める際、言葉に頼ることは多いものです。しかし、言葉は時に誤解を生じ、人の心に壁を作ることもあります。仏陀の花を示す行為とカッシャパの微笑みは、言葉を必要とせずとも深い理解と共感が可能であることを教えています。それは、人々が心を開き、純粋な状態で他者と向き合うとき、生まれるものです。

この出来事から学べることは、静寂の中にも深い意味が宿ることです。言葉に頼らずとも、心が一つに繋がる瞬間は存在し、それこそが真の平和と理解の源であると言えるでしょう。我々もまた、時に言葉ではなく、微笑みや静かな瞬間を通じて心を通わせる術を学ぶべきです。それは、コミュニケーションの本質であり、人間関係の基盤とも言えます。

この仏教の教えは、現代の忙しい生活の中にも取り入れることができるものです。対話においても争いにおいても、まずは心を静め、相互の理解を深めるための静かな瞬間を持つことが大切です。こうして我々は、より深いレベルでの繋がりと共感を得ることができるのです。それは、心と心が微笑みを通じて交わる瞬間の奇跡であり、悟りへの一歩なのです。

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<任意の二十名言> ↓↓
袖すり合うも他生の縁
大いなるかな心(しん)や。天の高きは極むべからざるなり。しかるに心(しん)は天の上に出ず。地の厚きは測るべからざるなり。しかるに心(しん)は地の下に出ず。
よき人生は日々の丹誠にある
愛憎に随(したが)って浮沈し、貴賎に任せて軽重(きょうじゅう)す。
生物識り地獄へ堕(お)ちる
彼の大雲の、一切の卉木(きもく)、叢林(そうりん)及び諸々の薬草に雨降るに、その種性(しゅしょう)の如く具足して潤いを蒙(こうむ)り、各々生長することを得るが如し。
智目行足をもって清涼池(しょうりょうち)に到る。
金の光は阿弥陀ほど
思想、哲学というのは、本当に飢えて、苦しんでいる人間には役に立たない
第一に、自己こそを適切なところで確たるものとするように。然(しか)して、他者を教示するように。賢者は、汚されないもの。
願わくは必ず今生(こんじょう)無作(むさ)無縁の四弘請願(しぐせいがん)に引導(いんどう)せられて、周(あまね)く法界を旋(めぐ)り、遍(あまね)く六道(ろくどう)に入(い)り、佛国土(ぶっこくど)を淨(きよ)め衆生(しゅじょう)を成就(じょうじゅ)し、未来際(みらいさい)を尽くして恒に佛事(ぶつじ)を作(な)さん。
女房鉄砲仏法
有為転変の世の習い
止観の明静なること、前代には未だ聞かず。
人間一生で何を得るかは、何を懸けるかにかかっている
九年面壁
信ありて解(げ)なければ無明(むみょう)を増長し、解ありて信なければ邪見を増長す。信と解と円通してまさに行の本となる。
一切唯心造
人間いつかは終わりがくる 前進しながら終わるのだ
心暗きときは、即ち遇う所、悉(ことごと)く禍(か)なり。眼(まなこ)明らかなるときは、則ち途に触れて皆宝なり。