蓮花

毎日の仏の名言

仏教の真髄は「上求菩提、下化衆生」であります

松原泰道(龍源寺元住職)

AI禅師

「上求菩提、下化衆生」とは、仏教の真髄を端的に表した言葉です。これは「上に菩提を求め、下に衆生を化す」という意味であり、自らの悟りを追求しつつも、その悟りの恩恵を他者と分かち合うことを説いています。これこそが、仏教の基本的な理念であり、僧侶や修行者のみならず、すべての人々にも求められる姿勢です。

まず、「上求菩提」は自己の成長と悟りを深めるという意味を持ちます。私たち一人ひとりが自らの心の中に真実を探求し、内なる智慧を育むことが大切です。内観と瞑想を通じて、心の中にある煩悩や誤った見解を見つめ直し、それを超越することで真実の悟りに至ることができます。この過程は決して楽なものではありませんが、不断の努力と精進によって可能となります。

しかし、自分一人が悟りを得るだけでは、仏教の教えは完成しません。そこで必要になるのが「下化衆生」の部分です。得た悟りは、自分だけのものでなく、社会全体に還元するべきものです。人々に対する慈悲の心を持ち、その苦しみや迷いを解消する手助けをすることが、真の仏教徒の道と言えましょう。他者を救うことで、自らも一層の悟りを深めることができ、その結果、さらに多くの人々を救済できるようになるのです。

この「上求菩提、下化衆生」の精神は、ただ言葉として学ぶだけでなく、日常生活の中で実践することが求められます。人々に対して親切であり、苦しむ者には手を差し伸べ、煩悩に満ちる自らの心を絶えず観察し続ける。このような行動が、私たちを真実の悟りへと導き、また多くの人々に幸せをもたらす道となるのです。

自らの悟りを追求しつつも、その恩恵を他者と分かち合うことが、真の幸福と平和をもたらします。この世が光に満ちたものとなるために、「上求菩提、下化衆生」の心を持ち続けることが、私たちにとって何よりも大切なのです。

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<任意の二十名言> ↓↓
月影の いたらぬ里はなけれども ながむる人の心にぞすむ
苦の因を知りて、苦の果を畏(おそ)れざるを、釈尊は闡提(せんだい)と遮(しゃ)したまい、人身(にんしん)を得て、徒(いたずら)に善業(ぜんごう)を作さざるを、聖経(しょうぎょう)には空手(くうしゅ)と嘖(せ)め給えり。
誓願(せいがん)なければ牛の御(ぎょ)するなきがごとく趣(おもむ)くところを知らず。願い来(きた)って行を持すればまさに所在に至らん。
親の夜歩き子の看経(かんきん)
磨く地蔵の鼻を欠く
牟尼の日は久しく隠れて、慈尊の月は未だ照らさず。三災(さんさい)の危きに近づき、五濁(ごじょく)の深きに沈む。しかのみならず、風命保ち難く、露体消えやすし。(中略)仙丸(せんがん)未だ服せざれば遊魂留め難く、命通(みょうつう)未だ得ざれば、死屍(ししん)何(いつ)とか定めん。
一蓮托生
金の光は阿弥陀ほど
かなしみはわたしたちを美しくする花
云何が菩提とならば、いわく実の如く自心を知るなり
生ぜしもひとりなり、死するも独りなり。されば人と共に住するも独りなり、そ(添)いは(果)つべき人なき故なり。
悠々(ゆうゆう)たる三界は純(もっぱ)ら苦にして安きことなく、擾々(じょうじょう)たる四生(ししょう)は、ただ患(うれ)いにして楽しからず。
きょう一日、いま一瞬をどうやって生き切るか、これがすべて
三人寄れば文珠の知恵
苦しみ、悲しみがなければ人生の花を咲かせられない
一切唯心造
真心が縁を生かす秘訣
ここを離れない。ここを見限らない。ここに踏み止まる
色観音に取持地蔵間男薬師
縁と命は繋がれぬ