坊主憎けりや袈裟まで憎い
坊主に袈裟はつきものだが、その人が憎いあまりに、着けている袈裟まで憎らしく思うことから、相手憎さに罪もない持物にまで当りちらす様子をいう。「罪を憎んで人を憎まず」の反対。
世の中には、人に対する強い嫌悪感が時として過剰に現れることがあります。この感情は、しばしばその者の持ち物や身に付けているものにまで及び、そのすべてが憎しみの対象となるのです。
例えば、特定の僧侶に対する嫌悪感があれば、その僧侶が常に身に着ける袈裟さえも忌まわしく感じられてしまいます。これは、あたかもその僧侶自身が憎らしいだけでなく、その僧侶を象徴するすべてのものが憎々しく思われるかのようです。これこそが偏った感情が理性を超えてしまうという人間の未熟さの一例と言えるでしょう。
仏教の教えには「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。これは、行いの不正を非難しても、その人自身を否定してはならないという戒めです。しかし、強い憎悪が心を支配したときには、この教えに逆らう形で、その者のすべてが敵視されてしまうことも多いです。
ここで大切なのは、一歩引いて自らの感情を見つめ直すことです。瞑想や修行を通じて心の中の怒りや憎しみを扱うことで、本質を見失わずに済みます。感情に流されることなく、真実を見抜く目を養うことが、心の平和と真の理解を導く道です。
我々が直面する感情の波も、冷静な心持ちで対処すれば、大海の小さな波の一つに過ぎないものです。日々の生活の中で、このような感情に左右されずに静かな心を保つことは、内なる平和を築く第一歩です。仏の教えを胸に刻み、自らの心を見つめ直し、広く深い慈悲の心を持って他者と向き合うことが求められるのです。
憎悪を超え、心の平静を保つことこそが、我々を真の幸福へと導く鍵であることを忘れずに、日々の修行に励みましょう。
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