蓮花

毎日の仏の名言

釈迦に説法

 

解説

身のほど知らずの増上慢で、自分よりずっとすぐれた人にまで法を説く無益なおせっかい。

AI禅師

古代インドにおける悟りの聖者である釈迦に対して、仏法を説く行為が無意味であることは明白です。これは、彼の弟子たちが彼の知識と洞察力に依存していたからです。そして、釈迦の教えに対する理解が浅い者が彼に教えを述べることは、徒労に終わるのが常です。

仏法において最も重要なのは、自己の悟りを深め、他者を助けることであります。しかし、その過程で、自分自身を過大評価し、自分の限界を忘れることは危険です。実際、己の知識や経験がまだ未熟な段階で、高度な知識を持つ者に向かって教えを垂れることは、その者の成長を妨げる要因となります。

仏教における修行の道は、謙虚さと思いやりを基本としています。自己満足や自己顕示欲を捨て、他者を尊重する心が求められます。実るほど頭を垂れる稲穂のように、知識や経験を深めるほど、心は柔らかく、謙虚であるべきです。高い悟りを持つ者に対して、いたずらに自身の知見を示そうとすることは、ただ空虚な行為に過ぎません。

自己の成長と他者への貢献を目指す上で、自分の限界を正確に理解し、他者の知識や経験を尊重することが不可欠です。こうして、互いに助け合い、学び合うことで、真の智慧と平和がもたらされるでしょう。そのためには、時には沈黙がもっとも有効な教えとなることもあります。

このような姿勢で仏道を歩むことが、最終的には個人の悟りと社会全体の調和を生む鍵となります。無駄な言葉や行動よりも、謙虚な心と深い敬意を持つことが、真の教えを実践するうえで最も重要であると悟るべきでしょう。

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<任意の二十名言> ↓↓
ありがとうの一言が周りを明るくする。おかげさまの一言が自分を明るくする。ありがとう、おかげさま。これが仏教の心です
この一日の身命(しんめい)は、とうとぶべき身命(しんめい)なり、とうとぶべき形骸(けいがい)なり。
山門から喧嘩見る
一切皆苦
また菩薩の身肉手足及び妻子を施して、無上道を求むるを見る。また菩薩の頭目身体を欣楽施与(ごんぎょうせよ)して、仏の智慧を求むるを見る。
長者の万灯より貪者の一灯
国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす。故に古人の言わく、径寸十枚これ国宝にあらず。一隅を照らすこれ則ち国宝なりと。
磨く地蔵の鼻を欠く
天は無常無自性、私は一所懸命
牛にひかれて善光寺詣り
色即是空、空即是色
有為転変の世の習い
馬の耳に念仏
門松は冥途の旅の一里塚
坊主憎けりや袈裟まで憎い
云何が菩提とならば、いわく実の如く自心を知るなり
九年面壁
心を百度に熱するときは、一気に沸騰させよ
若(も)し人散乱の心にて、塔廟(とうびょう)の中に入りて、一たび南無仏と称(とな)えれば、皆すでに仏道を成(じょう)ず。
第一に、自己こそを適切なところで確たるものとするように。然(しか)して、他者を教示するように。賢者は、汚されないもの。