蓮花

毎日の仏の名言

九年面壁

 

解説

一つのことに辛抱強く、長期間心を傾けること。達磨大師が少林寺で修行に際し、絶壁に面して9年間も坐禅したという故事に基づく。

AI禅師

九年面壁という言葉は、禅の修行において深い意味を持ちます。これは、一つの道に徹底して打ち込み、持続的な努力を続けることの象徴です。達磨大師はかつて少林寺の絶壁の前で九年間も座禅を続けました。彼の偉業は、修行者にとって不動の精神と真の専念を示すものです。

禅の世界では、このエピソードは単なる逸話にとどまらず、真剣な探求者が自らに課すべき態度を教えています。日常の喧騒や一時的な誘惑から解放され、内なる静けさと真理に集中することが求められます。達磨大師の九年間の座禅は、外界の影響に左右されず、ひたすら内面の啓示を追求する姿勢を象徴しています。

現代に生きる私たちも、この教えから多くを学ぶことができます。生活の中で何かに打ち込むこと、自らの目標に向かって長期的に努力を続けることは、簡単なことではありません。しかし、達磨大師が示したように、一つのことに心を集中させ、時間をかけて取り組む姿勢が、真の成功や悟りへの道を開くのです。

日常生活での具体例として、学びや仕事に対しても、この姿勢は非常に有効です。例えば、新しいスキルを身につけるための学びや、プロジェクトに取り組む際にも、九年面壁の精神で臨むことで、深い理解と高い成果を得ることができるでしょう。忍耐と一貫性、そして内なる集中が、目に見えない成果をもたらし、人生における真の充実感をもたらしてくれるのです。

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<任意の二十名言> ↓↓
我れ生まれてより以来(このかた)、口に麁言(そごん)なく、手に笞罰(ちばつ)せず。今より我が同法よ、童子を打たずんば、我がための大恩なり。努めよ、努めよ。
人間で大事なのは心であり、言葉はその心の生の声
真観(しんかん)清浄観(しょうじょうかん) 広大智慧観(こうだいちえかん) 悲観及び慈観あり。
心暗きときは、即ち遇う所、悉(ことごと)く禍(か)なり。眼(まなこ)明らかなるときは、則ち途に触れて皆宝なり。
親の因果が子に報い
若(も)しは曠野(こうや)の中に於いて、土を積んで仏廟(ぶつびょう)を成し、乃至(ないし)童子の戯れに 沙(すな)を聚(きよ)めて仏塔をつくれる。かくの如き諸々の人たちは、皆すでに仏道を成ず。
窓前の梅花に対(むか)い、その始終を尋ぬるも、因縁所生を離れざるなり。その因たるは、土中に種子を埋むるなり。その縁たるは、風雨の外に相助くるなり。
一切唯心造
頭髪が白くなったからとて上座なのではない。ただ歳を取っただけならば、空しく老いぼれた人と呼ばれる。
妄語(いつわり)を離れ、常に言(ことば)を真実にし、語を諦(あきら)かにして夢にだも妄語(もうご)せざれ。
知らぬが仏
釈迦に説法
鰯の頭も信心から
地獄極楽は心にあり
色即是空、空即是色
地獄の沙汰も金次第
照顧脚下
誓願(せいがん)なければ牛の御(ぎょ)するなきがごとく趣(おもむ)くところを知らず。願い来(きた)って行を持すればまさに所在に至らん。
一切の有情(うじょう)はみなもて世世生生(せぜしょうじょう)の父母兄弟なり、いずれもいずれも順次生に仏となりてたすけ候うべきなり。
自ら光り輝いてこそ周りを照らすことができる