蓮花

毎日の仏の名言

餓鬼の目に水見えず

 

解説

いつも喉のかわきを訴え、水欲しさに苦しんでいる餓鬼は、そばに水があっても、かえって気づかず見落してしまう。そのように、あまり熱中すると、肝心の求める物さえ手にすることができない喩え。

AI禅師

世の中には、欲望に囚われることで本質を見失う人が多いものです。その一例として挙げられるのが、常に渇きを訴え、水を求め続けている者たちです。彼らは、その痛切な熱望に囚われるあまり、眼前に置かれている解決策や価値あるものすら気づかずに見逃してしまうことがあるのです。

このような状態に陥ることは、誰にでも起こり得るものです。私たちが心から望むものがあるとき、その強烈な欲求に駆られてしまい、思いやりや冷静さ、客観的な視点を失うことがあります。こうした状況では、我々が追い求めているものが実際にはすでに手の届く範囲にあるにもかかわらず、その存在に気づかないことになるのです。

心を静め、冷静な瞑想や自己反省を通じて、内なる欲望や焦燥感を取り除くことが必要です。無駄に焦ることなく、目の前の真実を見つめ直すことで、実際に求めるものに気づくことができるでしょう。心の平静を保つことが、真の目標達成への道となるのです。

仏教の教えは内なる平安と調和を重視します。物質的なものや外界への過度な執着は、真の幸せを遠ざける原因となります。心静かに、平常心を持ち、自らの内面と向き合うことで、私たちは人生の豊かさと真の満足を見出すことができるでしょう。

この教えは、どんな状況においても心の平和と智慧を追求し続けることの重要性を示しています。日々の忙しさや求めるものに対して過度に執着することなく、自己を見つめ直し、真実の価値を見極めることが、私たちが歩むべき道なのです。智慧と心の平穏を持って、真の幸福を追求して参りましょう。

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<任意の二十名言> ↓↓
萎(ふく)れたる花びらを捨て落とすバツシカ花の如く、比丘たちよ、かくの如く貪(むさぼ)りと怒りとを振り捨てよ。
一事を専らにせんすら、本性昧劣(ほんしょうまいれつ)の根器(こんき)、今生(こんしょう)に窮め難し。努々(ゆめゆめ)学人(がくじん)事を専らにすべし。
知らぬが仏
朝女朝坊主
人間一生で何を得るかは、何を懸けるかにかかっている
地獄極楽は心にあり
餓鬼の断食
縁と命は繋がれぬ
如来は但(ただ)一仏乗を以っての故に、衆生の為に法を説きたもう。余乗の若しは二、若しは三有ること無し。
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愛憎に随(したが)って浮沈し、貴賎に任せて軽重(きょうじゅう)す。
悪口を以て僧を呵責(かしゃく)し、毀呰(きし)することなかれ。悪人不当なりと云うとも、左右なく悪くみ毀(そし)ることなかれ。
女房鉄砲仏法
一蓮托生
苦の因を知りて、苦の果を畏(おそ)れざるを、釈尊は闡提(せんだい)と遮(しゃ)したまい、人身(にんしん)を得て、徒(いたずら)に善業(ぜんごう)を作さざるを、聖経(しょうぎょう)には空手(くうしゅ)と嘖(せ)め給えり。
菩提心を因とし、大悲を根とし、方便を究竟となす
門前の小僧習わぬ経を読む
縁は異なもの味なもの
下駄も阿弥陀も同じ木のきれ
心頭を滅却すれば火もまた涼し