蓮花

毎日の仏の名言

縁と命は繋がれぬ

 

解説

人の命は一度切れたが最後、二度とつなぐわけにはいかないように、縁の糸も、切れたらおしまい。両方とも大事にすべき戒め。

AI禅師

人々はしばしば縁と命を軽んじ、無常の世界においてその価値を見失うことがあります。しかし、我々は生命の一度切れてしまったら決して還ることのない流れと同様に、縁もまた一度途絶えてしまえば再び結び直すことが困難であるという教訓を心に刻むべきです。

古来からの教えにあるように、仏教の理想は無常を悟り、現在の一瞬一瞬を尊重することにあります。命も縁も、それぞれにかけがえのない宝であり、瞬間の中での善行や正しい思いが大切なのです。私たちが日々の生活において、家族、友人、そしてすれ違うすべての人々との関係を大切にし、また、自身の命をも敬い生きることが求められています。

一度途切れてしまえば再び取り戻せないものは、日常の中でも多く存在します。命も縁もその最たるものです。現世において私たちは、命の限りない価値を知り、それと同じように縁をも重く受け止めるべきです。互いに心を通わせ、理解し合う中で、より深い結びつきを築くことが大切なのです。

また、命を尊重し日々を送るということは、自己の存在に感謝し、他者との関係を大切にすることにも通じます。他者への感謝の心を持ち、その絆を大事にする態度こそが、豊かな人生への道とされております。それは内なる喜びと外なる平和をもたらし、心の安らぎへと導く智慧でもあります。

ゆえに、仏教の智慧をもって、命も縁も軽んじることなく、慈しみと感謝の心をもって日々を過ごしましょう。命の尊さと縁の貴さを理解することが、真の幸福へと導いてくれるのです。

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<任意の二十名言> ↓↓
眠りえぬものに夜は長く、疲れたる者に五里の路はながし。正法を知ることのなき愚かなる者に、生死の輪廻は長し。
この一日の身命(しんめい)は、とうとぶべき身命(しんめい)なり、とうとぶべき形骸(けいがい)なり。
人の生を受くるは難く、死すべき者の生命あるも有難し。正法を耳にするは難く、諸佛の出現も有難し。
誓願(せいがん)なければ牛の御(ぎょ)するなきがごとく趣(おもむ)くところを知らず。願い来(きた)って行を持すればまさに所在に至らん。
地獄で仏
信ありて解(げ)なければ無明(むみょう)を増長し、解ありて信なければ邪見を増長す。信と解と円通してまさに行の本となる。
馬の耳に念仏
他人が辛かろう、寂しかろうといっても、いや自分は幸せですという人には誰も勝てない
鰯の頭も信心から
法皇牟尼は、大海の針、妙高の線を仮りて、人身の得がたきを喩況(ゆきょう)し、古賢禹王(こけんぐおう)は一寸の陰(とき)、半寸の暇(いとま)を惜しみて、一生の空しく過ぐることを歎勧(たんかん)せり。
我れ未だ六根相似(ろっこんそうじ)の位(くらい)を得(え)ざるより以還(このかた)出假(しゅっけ)せじ。
生物識り地獄へ堕(お)ちる
物の興廃は必ず人に由(よ)る。人の昇沈は定んで道に在り。
法を見るものは縁起を見る、縁起を見るものは法を見る
地獄の沙汰も金次第
牟尼の日は久しく隠れて、慈尊の月は未だ照らさず。三災(さんさい)の危きに近づき、五濁(ごじょく)の深きに沈む。しかのみならず、風命保ち難く、露体消えやすし。(中略)仙丸(せんがん)未だ服せざれば遊魂留め難く、命通(みょうつう)未だ得ざれば、死屍(ししん)何(いつ)とか定めん。
真心が縁を生かす秘訣
涅槃寂静
餓鬼の目に水見えず
一切の悪をなさず、善を成就す。これは、覚者たちの教えである。