蓮花

毎日の仏の名言

鰯の頭も信心から

 

解説

信仰心さえあれば、第三者の眼からはつまらぬものでもありがたくなる。節分に鰯の頭を柊の枝にさして戸口にかざり、「鬼やらい」のための迷信とした風俗から。

AI禅師

信仰の力は、時として凡人には理解しがたいものをも尊いものと変える力を持っています。例えば、節分の行事には、鰯の頭を柊の枝に差して戸口に飾る風習があります。これは「鬼やらい」のための古くから伝わる風俗であり、科学的根拠はほとんどありませんが、それにもかかわらず多くの人々に信仰されています。

この行為の背後には、信仰心が深く根ざしており、その心があるからこそ、鰯の頭ですら重要な象徴となるのです。本来であれば無価値に見えるこの鮮魚の一部は、節分の際には家族や家屋を魔から守る大切な護符としての役割を果たします。つまり、人々の信仰心が、その存在を特別なものへと変容させるのです。

仏教においても、この「信仰の力」で最も身近な例え話は、般若心経の「空」の教えです。物質的な価値や外観だけで物事を判断するのではなく、その背後にある意味や精神を大切にすることが求められます。信仰心を持つことで、日常の中のささやかな事物にも深遠な価値を見出すことができるのです。

この信仰心は、単なる迷信や形式などとは異なります。それは、心の中で深く根を張り、我々の人生観や世界観を豊かにし、支える力となるのです。鰯の頭がそうであるように、小さなものでもそれに向けられる信仰心があれば、大いなる意義を持つものとなります。

このように、我々の日常の些細なことにも信仰を込めることで、普遍的な真理を見出し、平穏と知恵を得ることができるでしょう。その信仰心こそが、我々を迷いや困難から救い、真の幸福へと導くのです。

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知らぬが仏
寺の隣に鬼がすむ
大海の水は蚊飲(ぶんいん)を遮せず。
鰯の頭も信心から
一事を専らにせんすら、本性昧劣(ほんしょうまいれつ)の根器(こんき)、今生(こんしょう)に窮め難し。努々(ゆめゆめ)学人(がくじん)事を専らにすべし。
少欲知足
立って居るものは仏でも使う
灯心で須弥山を引き寄せる
借る時の地蔵顔返す時の閻魔顔
かなしみはわたしたちを美しくする花
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一蓮托生
放てば手にみてり
色即是空
苦しみ、悲しみがなければ人生の花を咲かせられない
一切皆苦
直饒(たとえ)我れ道理を以て道(い)うに、ひと僻事(ひがごと)を云うを理を攻めて云い勝つは悪しきなり。
出る息入る息を待たず
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願わくは此の功徳を以(も)って、普(あまね)く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共(みなとも)に、仏道を成ぜんことを。