蓮花

毎日の仏の名言

色観音に取持地蔵間男薬師

 

解説

人間の欲望ほど身勝手なものはなく、仏の名をかりて、世の中にろくでもないものをつくり出す喩え。色事の成就、恋の取り持ち、密通の世話など、仏菩薩がするはずもないのに、引き合いに出したがる。

AI禅師

人間の心の奥底には、永遠に満たされることのない欲望が潜んでいます。この欲望は、時に自分を正当化するために、さまざまな手段を講じるものです。中には、仏や菩薩の名前をも汚してしまうこともあります。

例えば、「色観音」という言葉があります。これを用いる人々は、観音菩薩が色事の願望を叶えてくれるかのように祈願するのです。しかし、観音菩薩の真意は、慈悲深い心で他者を救うことにあります。恋の成就を願って観音菩薩にすがることは、彼女の本来の教えを歪める行いです。

また、「取持地蔵」もその一例です。地蔵菩薩は本来、亡者を救済し、地獄から導き出す役割を持っています。しかし、勝手な解釈で人間関係を取り持つ存在として利用されることがあります。このような使い方は、地蔵菩薩の慈悲の精神に逆行しています。

さらに、「間男薬師」という表現もあります。薬師如来は病を治し、身体と心の健康を守る役割を持ちますが、密通などの願望成就を乞うためにその名前を使うのは、仏の教えを冒涜する行為です。

このように、人間の欲望は時に仏菩薩の尊い教えをも曲げてしまいます。しかし、本当に尊重すべきは、仏菩薩の教えそのものです。私たちは仏の名前を正しい目的のために使うべきであり、その本質を理解し、敬う心を持つことが重要です。

仏教の教えは、私たちに真摯で誠実な生き方を求めています。欲望にもとづいた身勝手な行動を戒め、心の清浄を保つことが、真の仏教的な生き方といえるでしょう。仏や菩薩の教えを正しく理解し、その心を受け取ることが、私たちの生活をより良いものに導いてくれるのです。

Show More

<任意の二十名言> ↓↓
自分を持たない人間が、他人の意見だけを聞いて、はいはいと言っているようなことでは、真の独立はできない
心の師となれ、心を師とせざれ
会うは別れの始め
夫(そ)れ仏法を学せん法は、かならずまず時をならうべし。
寺の隣に鬼がすむ
色観音に取持地蔵間男薬師
女房鉄砲仏法
過(あや)まれるを改める善の、これより大きなるは無し。
縁と命は繋がれぬ
一切の有情(うじょう)はみなもて世世生生(せぜしょうじょう)の父母兄弟なり、いずれもいずれも順次生に仏となりてたすけ候うべきなり。
心頭を滅却すれば火もまた涼し
無所得を以(もっ)て方便(ほうべん)と無し、無上(むじょう)第一義(だいいちぎ)の為に金剛(こんごう)不懷(ふえ)不退(ふたい)の心願(しんがん)を発(ほっ)す。
誓願(せいがん)なければ牛の御(ぎょ)するなきがごとく趣(おもむ)くところを知らず。願い来(きた)って行を持すればまさに所在に至らん。
信ありて解(げ)なければ無明(むみょう)を増長し、解ありて信なければ邪見を増長す。信と解と円通してまさに行の本となる。
解脱の味独り飲まず、安楽の果独り証せず。法界の衆生と同じく妙覚に登り、法界の衆生と同じく妙味を服せん。
真心が縁を生かす秘訣
苦がその人を鍛えあげる 磨きあげる 本ものにする
彼の大雲の、一切の卉木(きもく)、叢林(そうりん)及び諸々の薬草に雨降るに、その種性(しゅしょう)の如く具足して潤いを蒙(こうむ)り、各々生長することを得るが如し。
何事も因縁
風色(ふうしき)見難しと雖(いえど)も、葉を見て方を得ん。心色見えずと雖も、しかも情を見れば知り易し。