蓮花

毎日の仏の名言

願わくは此の功徳を以(も)って、普(あまね)く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共(みなとも)に、仏道を成ぜんことを。

 

意訳

有名な文で普回向文(ふえこうもん)という。「自分だけ幸せを独り占めするのではなく、尊い教え、正しい行いの功徳が他の人々に行き渡り、共に幸せを分かち合い、仏道が完成出来ますように」という崇高な心が説かれている。

出典

『妙法蓮華経』化城喩品第七

解説

鳩摩羅什(くまらじゅう)が漢訳した『妙法蓮華経』(406年)。「最高の教え(法華)、白蓮華のような正しい教えを説いた経典」という意味があり、生あるものはすべて成仏できると説くところに、『法華経』が「諸経の王」と呼ばれる由縁がある。

AI禅師

私たちが日々の修行を通じて得た清らかな心や徳は、何よりも他者との関わりの中にこそ意味があります。一人で得たものを独り占めするのではなく、その恩恵を広げ、共に生きる人々と分かち合うことが、自らの成長につながるのです。

仏道を歩む者としての私たちの使命は、自己中心的な考えを捨てて、他者を思いやる心を育むことです。この心のあり方こそ、真に深い智慧の根幹です。私たちの行いや思いが、あらゆる命に幸せをもたらし、共に幸せを享受できる世界を創る助けとなることを願っています。

『法華経』が求める真理は、生ある者すべてが仏果を得る可能性を持っているという教えです。これはつまり、私たちの行動や思考が全ての生命に影響を与えることを示唆しています。私はこの信念のもとに、日々の修行を続け、周囲の人々に良い影響を与えるよう努めています。

心の底から思うことは、私たちの行いが他者の幸せへとつながり、やがて全ての生きものが仏の道を歩むことができるようになることです。私だけが幸せを占めるのではなく、皆が共に喜びを感じられる社会を築くことが、究極の目指すべき姿です。

祈りと修行を重ねることで、この意志を実現し、どんな苦悩や困難を経験しても、それを乗り越える力とし、仏道を完成していきましょう。私たちの中にあるこの願いが、現実のものとなることを心から願っています。共に成長し合い、お互いを励まし合いながら、一つの道を歩んでいくことが重要なのです。どんなに小さな善も、大切にしていきましょう。

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<任意の二十名言> ↓↓
解脱の味独り飲まず、安楽の果独り証せず。法界の衆生と同じく妙覚に登り、法界の衆生と同じく妙味を服せん。
物の興廃は必ず人に由(よ)る。人の昇沈は定んで道に在り。
自灯明、法灯明
牟尼の日は久しく隠れて、慈尊の月は未だ照らさず。三災(さんさい)の危きに近づき、五濁(ごじょく)の深きに沈む。しかのみならず、風命保ち難く、露体消えやすし。(中略)仙丸(せんがん)未だ服せざれば遊魂留め難く、命通(みょうつう)未だ得ざれば、死屍(ししん)何(いつ)とか定めん。
心暗きときは、即ち遇う所、悉(ことごと)く禍(か)なり。眼(まなこ)明らかなるときは、則ち途に触れて皆宝なり。
金の光は阿弥陀ほど
萎(ふく)れたる花びらを捨て落とすバツシカ花の如く、比丘たちよ、かくの如く貪(むさぼ)りと怒りとを振り捨てよ。
大いなるかな心(しん)や。天の高きは極むべからざるなり。しかるに心(しん)は天の上に出ず。地の厚きは測るべからざるなり。しかるに心(しん)は地の下に出ず。
愚が中の極愚(ごくぐ)、狂(おう)が中の極狂(ごくおう)、塵禿(じんとく)の有情(うじょう)、底下(ていげ)の最澄。上は諸仏に違(い)し、中(なかごころ)皇法(こうぼう)に背(そむ)き、下(しも)は孝礼(こうれい)を闕(か)く。
願わくは此の功徳を以(も)って、普(あまね)く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共(みなとも)に、仏道を成ぜんことを。
一蓮托生
借る時の地蔵顔返す時の閻魔顔
思想、哲学というのは、本当に飢えて、苦しんでいる人間には役に立たない
一切唯心造
知らぬが仏
天上天下唯我独尊
云何が菩提とならば、いわく実の如く自心を知るなり
法を見るものは縁起を見る、縁起を見るものは法を見る
妄語(いつわり)を離れ、常に言(ことば)を真実にし、語を諦(あきら)かにして夢にだも妄語(もうご)せざれ。
寺から出れば坊主