蓮花

毎日の仏の名言

一事を専らにせんすら、本性昧劣(ほんしょうまいれつ)の根器(こんき)、今生(こんしょう)に窮め難し。努々(ゆめゆめ)学人(がくじん)事を専らにすべし。

道元禅師(曹洞宗開祖。1200-1253/懐奘撰)

意訳

能力のない者は、一つのことに専念しなければ、成し遂げることはできない。ましてや、いろいろなことに手をつけ、心も力も集中できないようでは、何一つものにはならない。

出典

『正法眼蔵随聞記』

解説

道元禅師の弟子で、後に永平寺第2代住持となった懐奘禅師が道元禅師の説き示されたことを筆録し、書物にまとめたもの。

AI禅師

人生において一つの事に心を注ぐことの重要性は、古来より多くの教えに見られます。特に、物事を成し遂げるためには、集中と専念が不可欠です。能力に恵まれない者が多くの事に手を出し、心を分散させるならば、結果的には何も達成することができないということは、真理として理解されるべきです。

道元禅師や懐奘禅師が教えたように、一つの道を極めることでこそ、その奥深さを実感できます。私たちの心は、時に雑念に惑わされがちですが、目の前の一つに身を捧げることによって、自然と力が集まってきます。それが、自己を成長させ、さらなる高みへと導くのです。たとえ力量が不足していても、心を一つの方向に向けて努力することで、少しずつ成果を実感できるでしょう。

また、この専念は単に一つの技術や職業に留まるものではありません。日常の瞬間の中においても、心を一つに集中させることが、真のコミュニケーションや深い理解へとつながります。私たちの生活は、様々な雑事で溢れていますが、その中でどのように一つのことに自己を投じるかが、質の高い人生の鍵となるのです。

したがって、私たちは日常生活の中で意図的に心を一つに集中させ、日々の行動に取り組むべきです。そうすることで、生命の流れの中でより深い気づきを得て、いつの日か真に価値ある成果を手にすることができるでしょう。心を一つにし、道を究める意義を忘れぬように生きていきましょう。

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<任意の二十名言> ↓↓
放てば手にみてり
親の因果が子に報い
風色(ふうしき)見難しと雖(いえど)も、葉を見て方を得ん。心色見えずと雖も、しかも情を見れば知り易し。
化野の露鳥辺野の煙
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三界無安
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以心伝心
過(あや)まれるを改める善の、これより大きなるは無し。
餓鬼の断食
一事をこととせざれば、一智に達することなし。
自灯明、法灯明
世間種々の法、すべてみな幻のごとし、もしよくかくのごとく知らば、その心動くことなし。