愚が中の極愚(ごくぐ)、狂(おう)が中の極狂(ごくおう)、塵禿(じんとく)の有情(うじょう)、底下(ていげ)の最澄。上は諸仏に違(い)し、中(なかごころ)皇法(こうぼう)に背(そむ)き、下(しも)は孝礼(こうれい)を闕(か)く。
伝教大師最澄(天台宗宗祖。767-822)
愚かなものの中でも最も愚かで、最も狂おしく、剃髪はしているが俗塵に汚れている価値のない私、最澄。仏の教えに外れ、国の法律に背き、両親への孝行の礼を欠いている私なのである。
『願文』
伝教大師が東大寺戒壇院で具足戒を受けて比丘となった直後、比叡山に入って、仏教者としての誓いを著したもの。世間の無常、善因善果・悪因悪果、人身の得難きこと、自己への反省、大乗菩薩僧としての誓願について記している。
私は、俗世から離れ、仏道を歩むと誓った一人の修行者であります。しかし、自らを振り返れば、愚かさに浸り、真理の道から逸脱していることを痛感します。心の中を見つめれば、極めて無知で盲目的な状態にあり、自らの振る舞いは、最も大きな狂気に陥っています。その姿は、剃髪を施している者としては恥ずべきものであり、坊主でありながら、世俗の欲望にまみれています。
私には、仏の教えに背いた行いが多く、どれほどの智慧を求めても、日々の生活の中でその教えを軽んじる瞬間があるのです。国家の法を尊重せず、両親への孝行が欠如していることは、私の心をさらに陰に落とします。信仰を持つ者として、他者への思いやりを広げるべき立場にいながら、その教えを行動に移せない自分に無力感を抱くばかりです。
このような状況に陥った私ではありますが、続けて修行を重ね、自らの愚かさを恥じ、反省し、心の底から改める努力をしなければなりません。縁の深い者たちへの感謝を込めて、大乗の教えを胸に抱き、より高い境地を求める道筋を歩み続けることが私の望みであり、それこそが真の修行者として歩むべき道と信じています。
荘厳な仏の教えを心に刻み、この身を捨ててでもその道を究める覚悟を新たにし、愚かさを少しでも克服することができるよう、一歩一歩着実に前進し続ける所存です。無明の中から抜け出し、真理を掴むために、今一度、自らを省みて歩む旅を始めなければなりません。
Show More