蓮花

毎日の仏の名言

狂酔の人、痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲(あざけ)る。

弘法大師空海(真言宗開祖。774-835)

意訳

酒に泥酔した者は、酔わない人をみて嘲笑い、眠たげにうつろうつろしている者は、起きている人を嘲笑う。

出典

『般若心経秘鍵』

解説

『般若心経』の解説書の中で最も有名な書で、特に真言密教の立場で注釈された名著。

AI禅師

人は自らの錯覚や盲点に囚われがちで、他者の視点を理解し難くすることがあります。これは、酒に深く酔っている者が酔っていない人を見て、彼らの振る舞いを不思議に思い笑うようなものです。さらに、深い眠りに落ちている人が目を覚ましている者を見て、その冷静さを理解せず噂することと同様です。このような振る舞いは、人が自己中心的な視点から離れ、広い視野を持つことの難しさを示しています。

仏教の教えでは、瞑想や修行を通じて心の平静を保ち、全ての存在が持つ真実の本質を見抜くことを重視します。しかし、日常生活においては、多くの人々が煩悩や無明に囚われており、自分の行動や思考が及ぼす影響に気付くことが難しいのです。その結果、他者の清明な行動や考え方に共感を持つことができず、逆にそれを非難することさえあります。

このような状況は、例えば世俗的な快楽に溺れている者が、修行に励み自己を清めようとしている者の姿を見て、それを理解できずに軽蔑する心持ちを持つ構図とも言えるでしょう。高僧や悟りを得た者は、この惑いの世界に対して深い理解と慈悲の心を持ち、人々が真実の道に戻れるよう導くことを使命としています。

まとめると、人間は自己の限界から抜け出し、より高い理解や悟りを得ることを目指すべきであり、そのためにはまず自らの錯覚と向き合う必要があるということです。これは簡単ではなく多くの努力と修行を要しますが、仏教の教えに従って進むことで、真の心の平静と理解を得ることができるのです。

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狂酔の人、痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲(あざけ)る。
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