大海の水は蚊飲(ぶんいん)を遮せず。
伝教大師最澄(天台宗宗祖。767-822)
小さな蚊の腹に入った一滴の海水でも海の水に違いないように、仏教を身につけた人は、たとえそれがどんなにわずかでも菩薩の仲間に入るのである。
『顕戒論』
伝教大師が53歳の時、南都仏教の小乗戒に対して、真俗一貫の大乗菩薩戒こそが真に国を護り、人々を幸せにする「戒」であるとの思いから、比叡山における大乗戒壇院の建設を宣言した大書で、日本天台宗成立の基礎となった。
仏教の教えは、大海の如く広大で深遠なものです。それでも、この無限の教えが、一滴でも心に宿るならば、その人は仏道に入る資格を得るのです。たとえ、その一滴がどんなに微小であっても、それは全体の一部であり、本質を失うことはありません。大海の水が一滴でもその性質を変えないように、仏法の教えもまた一部であってもその真価を保ち続けます。
『大海の水は蚊飲を遮せず』と伝教大師が説いたように、仏法の深淵な教えは誰にも開かれており、受け入れる心さえあればどんな人にもその門は開かれています。たとえ小さな心でも、その心に仏法の光が射し込むならば、その人もまた菩薩の道を歩み始めたと言えるのです。
伝教大師がその生涯を通じて訴えたのは、仏教の教えが個々の人々の心と向き合い、その成長を促すものであるという真理です。特に、大乗の教えは、個々の人の幸福と、それを通じた社会の安寧を目指しており、これが比叡山に大乗戒壇院を築くという大師の決意にもつながりました。
大乗戒壇の建設は、それ自体が仏教の真髄を体現するものであり、人々に広く仏法を浸透させる道を開拓するものでした。伝教大師が強調したように、大乗の心は、大海のごとく広く、人々を包み込む慈悲の実践を意味します。それはまさに国を護り、人々を幸せに導く力を持つのです。
この教えは、私たち一人ひとりの心の中に宿る小さな光を尊重し、それを育むことで仏道を歩む力を得ることができることを示しています。したがって、仏法の大海の一滴を心に刻むこと、それが菩薩行の第一歩なのです。
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