炎は空に昇り、水は降りざまに流る。菓子の中に酸きあり、甘きあり。これらは皆、法爾(ほうに)の道理なり。
法然上人(浄土宗開祖。1133-1212)
炎は空に昇り、水は低い方に流れる。また果物にも酸っぱいものや、甘いものがある。それらは本来あるがままの自然の道理である。法然上人にとって法爾の道理はお念仏(阿弥陀如来の大いなる慈悲から発する願い=本願)に他ならない。お念仏の名号を唱えることによる救いは、自然に従うことであって、阿弥陀様の本願に導かれることであるという。
『法然上人行状絵図』
法然上人の誕生から入寂に至る行状のほか、法語、消息、著述などの思想もあらわし、さらに門弟の列伝、帰依者(天皇、公家、武家)の事蹟までをも含んで四十八巻に構成している。
炎が高みを目指して上昇し、水が低地を求めて流れるように、この世の現象はすべて自然の法則に従っている。果実が酸っぱさと甘さを内包するのも、またその一例である。この自然の摂理は、仏教において「法爾」と呼ばれる。我々が日々目にし、触れるものすべてが、この法爾に基づいて存在しているのである。
法然上人にとって、法爾は単なる自然現象だけでなく、深い仏法の真理を示している。阿弥陀仏の教えに含まれる慈悲と救いも、この法爾に関連している。お念仏を唱えることは、実は阿弥陀仏の大願に自然と導かれる行為なのだ。言い換えれば、阿弥陀仏の本願が存在するからこそ、我々はその道に沿って救われる運命にある。この教えは、我々が念仏を唱えるたびに自然のままに行動していることを示している。
法然上人の教えは、その生涯とともに伝えられ、多くの門弟とともに普及した。この教えは、様々な人々に影響を与え、世代を超えて受け継がれている。法然上人の生涯は、彼の思想だけでなく、彼に帰依した人物たちの事績も含めて記録されており、それが一層の深みと広がりを持つ仏教思想を形成している。
このように、法然上人の教えは自然の摂理と深く結びついており、人々が仏の道に従う際にはこの自然の法則が働いていることを理解するのが重要である。それを理解したとき、我々は真の意味での仏の教えを体得し、心の平穏を得ることができるのである。
Show More