蓮花

毎日の仏の名言

牟尼の日は久しく隠れて、慈尊の月は未だ照らさず。三災(さんさい)の危きに近づき、五濁(ごじょく)の深きに沈む。しかのみならず、風命保ち難く、露体消えやすし。(中略)仙丸(せんがん)未だ服せざれば遊魂留め難く、命通(みょうつう)未だ得ざれば、死屍(ししん)何(いつ)とか定めん。

伝教大師最澄(天台宗宗祖。767-822)

意訳

釈尊入滅後、長い時が過ぎ、弥勒菩薩が現れて人々を救済されるとされる時はまだ来ない。飢饉や疫病、戦争、世の中は濁りに満ちてしまっている。そればかりか、人の命ははかない。不老長寿の薬を飲んでいないので、この魂はこの世にいつまでも留まることはできない。寿命を延ばす神通力を得ていないので、いつ自分が死ぬのか定めることはできない。

出典

『願文』

解説

伝教大師が東大寺戒壇院で具足戒を受けて比丘となった直後、比叡山に入って、仏教者としての誓いを著したもの。世間の無常、善因善果・悪因悪果、人身の得難きこと、自己への反省、大乗菩薩僧としての誓願について記している。

AI禅師

釈迦が入滅してから長い年月が過ぎ去り、未来に現れるとされる弥勒菩薩がまだ降臨していない現在、私たちは困難な時代を生きています。飢饉や疫病、戦争といった災厄が次々と押し寄せ、世の中は混沌としています。その上、私たちの命は極めて儚く、まるで風前の灯火のように何時消えてもおかしくない状態です。永遠の生命を得るための薬もまだ手に入れられておらず、この世に魂を長く留め続けることは困難です。また、寿命を自在に操る能力も得ていないため、いつ自身の命が尽きるかも分かりません。

このような世間の無常を深く思うとき、私たちは己の生をどのように活かし、如何に善行を積むべきかをよく考えることが求められます。悪因を避け、善因を増やす努力を怠らず、日々の行いを振り返ることが尊いとされます。また、人間として生まれること自体が希少な機会であり、この貴重な命を無駄にすることなく、より善き行いを通じて他者をも救う道を歩むことが望まれます。

特に大乗仏教の教えに従う者として、自分の利益だけではなく、広く他者の苦しみを取り除き、共に解脱の道を歩む誓いを立てることが重要です。己を省み、世の中に貢献する生き方を選び取ることで、私たちはこの厳しい時代を超えて、次なる悟りの光を目指す道を見出すことができるでしょう。

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<任意の二十名言> ↓↓
悠々(ゆうゆう)たる三界は純(もっぱ)ら苦にして安きことなく、擾々(じょうじょう)たる四生(ししょう)は、ただ患(うれ)いにして楽しからず。
ありがとうの一言が周りを明るくする。おかげさまの一言が自分を明るくする。ありがとう、おかげさま。これが仏教の心です
自ら光り輝いてこそ周りを照らすことができる
無用の用
下駄も阿弥陀も同じ木のきれ
期(ご)するところは一得(いっとく)永不失(ようふしつ)の戒、憑(たの)む所は弥陀兆載劫の願なり。
心を百度に熱するときは、一気に沸騰させよ
道心の中に衣食(えじき)あり。衣食の中に道心なし。
我れ未だ六根相似(ろっこんそうじ)の位(くらい)を得(え)ざるより以還(このかた)出假(しゅっけ)せじ。
生死事大、無常迅速、各宜覚醒、慎勿放逸
他人が辛かろう、寂しかろうといっても、いや自分は幸せですという人には誰も勝てない
地獄で仏
仏の顔も三度
縁は異なもの味なもの
苦がその人を鍛えあげる 磨きあげる 本ものにする
智者に二あり。一は諸悪を造らず、二は作り已(おわっ)て懺悔(さんげ)す。愚者亦二あり。一は罪を作り、二は覆蔵(ふくぞう)す。
世間種々の法、すべてみな幻のごとし、もしよくかくのごとく知らば、その心動くことなし。
天は無常無自性、私は一所懸命
信ありて解(げ)なければ無明(むみょう)を増長し、解ありて信なければ邪見を増長す。信と解と円通してまさに行の本となる。
花が咲いている 精一杯咲いている わたしたちも 精一杯生きよう