悪事は己に向かえ、好事は他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり。
伝教大師最澄(天台宗宗祖。767-822)
いやなことでも自分でひきうけ、よいことは他の人にわかち与える。自分をひとまずおいて、まず他の人のために働くことこそ、本当の慈悲なのである。
『山家学生式』
伝教大師が日本天台宗を開かれるに当たり、「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいと、熱意をこめて著述されたもので、比叡山で12年間籠山修行を行わせることを規定している。
人々が苦しみや困難に直面した時、それを担う役目を率先して引き受けることが大切です。そうすることで、人々の負担を軽くし、心を安らかに導くことができます。逆に、喜びや幸福が訪れたなら、その喜びを他者と分かち合うことが望ましいです。自分一人でその喜びを享受するのではなく、周りの人々とともにその恩恵を分かち合うことで、共通の幸福が生まれます。
日常の生活において、自分の利益や欲望を追い求めることは容易でしょう。しかし、真の慈悲心を持つ者は、自分の利益を一時的に脇に置き、他者のために行動します。これは自己犠牲を求めるものではなく、他人の幸せを真剣に考え、その実現のために働く姿勢を示すものです。こうした行動は、他者への深い理解と共感から生まれ、結果的に自分の安らぎともつながるのです。
実際に、伝教大師が日本の天台宗を開いた際も、こうした考え方を重視しました。彼は、比叡山での厳しい修行を通じて、一つの場所を照らす光となるような人材を育てることを目指しました。この修行は、単に技術や知識を磨くことだけでなく、他者のために尽くす精神を養うためのものでした。彼の教えは、12年間の籠山修行という厳しい環境を通じて、深い慈悲の心を持つ人材を育成することに焦点を当てていました。
このように、自分を超えて他者に利益をもたらす行動こそが、真の意味での慈悲であり、それが極まるところに本当の幸せがあるのです。日々の生活の中で、自らを忘れ、他者の幸せのために行動することが、私たちの修行であり、心の成長の道なのです。
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