心暗きときは、即ち遇う所、悉(ことごと)く禍(か)なり。眼(まなこ)明らかなるときは、則ち途に触れて皆宝なり。
弘法大師空海(真言宗開祖。774-835/真済撰)
心が迷い、ものごとがよく見えない時は、見るもの聞くものみな禍となる。心整え、ものごとがよく見える時は、見るもの聞くものみな宝となる。
『性霊集』
804年~834年にかけての弘法大師空海の詩文約111首を、弟子・真済(しんぜい)が全10巻にまとめたもので、密教関係の内容を知る上で貴重な史料でもある。
人の心が混沌として物事がクリアに見えないとき、周囲の出来事や現象はすべて困難や災いとして現れます。しかし、心が整い、目が澄み渡っているときには、道すがら出会うどのような出来事も価値あるもの、学びとして受け取ることができます。弘法大師空海がこの言葉を残した背景には、心のあり方次第で現実の捉え方が全く異なるという真理が存在します。
空海は、日本に密教を伝えた偉大な僧であり、彼の詩文はその知恵と深い洞察力が詰まっています。彼の教えは、ただ仏教の経典を学ぶだけでなく、自らの経験を通じて心と向き合うことの重要性を説いています。この詩文のまとめ役を務めた真済という弟子も、師の教えを忠実に伝え、後世に貴重な財産を残しました。
私たちが物事をどのように受け取り、理解するかは、自らの心の状態に依存しています。心が迷っているときには、困難に直面するたびに挫けそうになるでしょう。しかし、逆に心が平穏で澄み切っているときには、どのような試練も成長の糧と感じることができます。このように、心の姿勢一つで見える世界が変わるという教えは、現代を生きる私たちにとっても大切な示唆を与えてくれます。
空海の言葉を胸に、日々の生活の中で自らの心を整え、物事に対する視点を高めていくことが仏教の修行であり、悟りへの道筋であると言えるでしょう。全てが学びとなるような心の状態を目指し、日々の出来事を感謝の気持ちで受け入れることが重要です。
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