蓮花

毎日の仏の名言

萎(ふく)れたる花びらを捨て落とすバツシカ花の如く、比丘たちよ、かくの如く貪(むさぼ)りと怒りとを振り捨てよ。

 

意訳

バツシカ(=ジャスミン)が、萎んだ花びらを自然に落とすように、仏道を歩もうとする者は貪り(むさぼり)と怒りの心を捨てなさい。貪り・怒り・愚痴というものは、物事への執着心から起こるもので、特に過去のことに対する執着は、時間の経過と共に忘れ去り、前向きに明るく生きた方が、より良い人生になるのではないだろうか。

出典

『法句経』

解説

『法句経』は『ダンマパダ=真理のことば』ともいい、お釈迦さま自身の言葉を伝える原始仏典の一つ。423の詩が26章にわけて収録されている。

AI禅師

ジャスミンの花が枯れた花びらを静かに落とす様に、仏道を求める者たちは、心中に抱える欲と怒りを解き放つべきである。この二つの執着は、心の中で縛りつけ、真の自由を妨げる原因となる。欲望にしがみつくことで、私たちは外界の物事に固執し、自分自身の内面の成長を見失ってしまう。また、怒りは燃え上がる火種の様に、私たちの感覚を曇らせ、正しい判断を下す力を奪う。過去に執着することは、自分の内なる平和と幸福を失うことに繋がる。

仏陀の教えを集めた『法句経』には、心を清らかに保つための智慧が詰まっている。そこには、私たちはどのように心の穢れを取り除き、平和と調和を見つけるかが説かれている。日常生活においても、過去への拘りを手放し、今この瞬間を大切にし、未来へ向けて積極的に歩んでいくことが重要とされる。心の中に蓄積された欲望や怒りを解放することで、私たちはより豊かで調和の取れた人生を送ることができる。

ジャスミンの花が示すように、不必要なものを自然に手放し、純粋な心を保つことが、私たちの成長と幸福への道である。己の心を見つめ直し、内なる静けさを取り戻すことが、真の悟りへの第一歩である。この教えを日々の生活に取り入れ、心の平穏と高みを目指すことが、私たちの人生をより良くする鍵となるだろう。

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<任意の二十名言> ↓↓
仏作って魂入れず
智目行足をもって清涼池(しょうりょうち)に到る。
また菩薩の身肉手足及び妻子を施して、無上道を求むるを見る。また菩薩の頭目身体を欣楽施与(ごんぎょうせよ)して、仏の智慧を求むるを見る。
自ら光り輝いてこそ周りを照らすことができる
涅槃寂静
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金の光は阿弥陀ほど
第一に、自己こそを適切なところで確たるものとするように。然(しか)して、他者を教示するように。賢者は、汚されないもの。
過(あや)まれるを改める善の、これより大きなるは無し。
心の師となれ、心を師とせざれ
一身弁じ難く、衆力(しゅうりき)成じやすし。
出る息入る息を待たず
諸法無我
法皇牟尼は、大海の針、妙高の線を仮りて、人身の得がたきを喩況(ゆきょう)し、古賢禹王(こけんぐおう)は一寸の陰(とき)、半寸の暇(いとま)を惜しみて、一生の空しく過ぐることを歎勧(たんかん)せり。
人間一生で何を得るかは、何を懸けるかにかかっている
期(ご)するところは一得(いっとく)永不失(ようふしつ)の戒、憑(たの)む所は弥陀兆載劫の願なり。
直饒(たとえ)我れ道理を以て道(い)うに、ひと僻事(ひがごと)を云うを理を攻めて云い勝つは悪しきなり。
門松は冥途の旅の一里塚
得がたくして移りやすきは、それ人身(にんしん)なり。発(おこ)しがたくして忘れやすきは、これ善心なり。