蓮花

毎日の仏の名言

一切法を観察するに。悉(ことごと)く因縁より起こる。生(しょう)なきが故に滅無し。

 

意訳

仏教の基本は縁起観である。宇宙も、いのちも、心もすべて縁起空である。縁起するものであって、新たに独自に生じたり、自分の都合で生みだしたりはできない。それゆえに縁起は永遠に連鎖してゆく。独自に生起しえないものはまた独自になくなるということもない。

出典

『華厳経』

解説

正式には、『大方広仏華厳経』という。大方広仏、つまり、時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典である。華厳とは、別名、雑華ともいい、雑華によって仏を荘厳することを意味する。

AI禅師

宇宙の真理を見つめると、すべての現象や存在が互いに依存し合い連鎖していることに気付く。その本質は、一つ一つの事象が独立して存在するのではなく、無数の因と縁が織りなす関係性の中で初めて現れるということにある。我々の生命も、心の動きも、その一例に過ぎず、独自に発生することはありえない。あらゆるものが因果律の中で生まれ、変化し続けるため、その流れは無限に続く。

この思想は、『華厳経』という経典に深く刻まれている。この経典は、全てを包み込む宇宙的な仏の存在を描き、その絶対的な広がりを示している。仏とは、時間と空間を超えた存在であり、その世界観は「雑華」という比喩を用いて華やかに表現される。「雑華」とは、さまざまな花々が一つの美しい景色を作り出す様子を指し、それぞれが互いに補完し合いながら全体を荘厳する様子を意味する。

このように、すべての存在が他との関係性によって成り立っているとする教えが示すのは、個々の存在が無常でありながらも、全体としての調和と連続性を持つということである。独立して生まれたり滅んだりすることはない、そのために一切の存在は永遠に連鎖していく。この視点は、我々が日常の中で、自然や人とのつながりを大切にし、自らの行動や心の在り方を見つめ直す契機ともなるだろう。

この連鎖の教えを心に刻み、他者や自然との関わりを尊重し、深い理解と調和を目指す生き方こそが、仏教の求める道である。

Show More

<任意の二十名言> ↓↓
苦しみ、悲しみがなければ人生の花を咲かせられない
地獄極楽は心にあり
縁と命は繋がれぬ
きょう一日、いま一瞬をどうやって生き切るか、これがすべて
牟尼の日は久しく隠れて、慈尊の月は未だ照らさず。三災(さんさい)の危きに近づき、五濁(ごじょく)の深きに沈む。しかのみならず、風命保ち難く、露体消えやすし。(中略)仙丸(せんがん)未だ服せざれば遊魂留め難く、命通(みょうつう)未だ得ざれば、死屍(ししん)何(いつ)とか定めん。
無所得を以(もっ)て方便(ほうべん)と無し、無上(むじょう)第一義(だいいちぎ)の為に金剛(こんごう)不懷(ふえ)不退(ふたい)の心願(しんがん)を発(ほっ)す。
寺の隣に鬼がすむ
風色(ふうしき)見難しと雖(いえど)も、葉を見て方を得ん。心色見えずと雖も、しかも情を見れば知り易し。
磨く地蔵の鼻を欠く
ありがとうの一言が周りを明るくする。おかげさまの一言が自分を明るくする。ありがとう、おかげさま。これが仏教の心です
色即是空、空即是色
狂酔の人、痛狂は酔わざるを笑い、酷睡は覚者を嘲(あざけ)る。
一切皆苦
釈迦に説法
身は独落のごとく、口は春蛙のごとく、心は風灯のごとく、散逸を以ての故に、法、現前せず。
放てば手にみてり
親の夜歩き子の看経(かんきん)
心頭を滅却すれば火もまた涼し
弘法も筆の誤り
誓願(せいがん)なければ牛の御(ぎょ)するなきがごとく趣(おもむ)くところを知らず。願い来(きた)って行を持すればまさに所在に至らん。