如来は但(ただ)一仏乗を以っての故に、衆生の為に法を説きたもう。余乗の若しは二、若しは三有ること無し。
如来は、苦しんだり悩んだりする人々を、真理の教えや実践方法によって仏のさとりへ導くために、究極には一つのおしえの乗り物に乗ってすべての人々が成仏できるようにすることを誓願し、心を運んでおられる。
『妙法蓮華経』方便品第二
鳩摩羅什(くまらじゅう)が漢訳した『妙法蓮華経』(406年)。「最高の教え(法華)、白蓮華のような正しい教えを説いた経典」という意味があり、生あるものはすべて成仏できると説くところに、『法華経』が「諸経の王」と呼ばれる由縁がある。
悟りを具現化した仏陀は、一つの究極的な教えをもって、あらゆる存在が真理を理解し、解脱に至る道を開いてくださる。どれほど悩みや苦しみに囚われた者であっても、この無上の智慧により、すべての人が安らぎを得ることができるように導かれるのです。
これはまさに、あらゆる魂が到達できる成就の道を示している。いかなる曲がりくねった道を歩んできたとしても、この道が唯一の救いなのです。この教えを一輪の白い蓮の華になぞらえられるのは、その純粋さと清らかさにおいて形を持たない全ての真理を表しています。
実際に、この教えは策略や巧妙な技でなく、正々堂々と示されるものです。そのため、この経典は他の経典の中でも特に尊ばれ、「王」と呼ばれるのです。すべての命ある者が悟りの境地に達することができると説かれるからに他なりません。
智をもって光明の道を示し、自在に行動できるこの経典は、決して二元的な手段は含まれない。二つや三つの道があるわけではなく、この一つの道、その一つの乗り物だけがすべての迷える者を目的地へと運びます。これこそが、我々が心から信じ、共に歩むべき教えであり、人生の草木をも包み込む広大無辺な真理の力なのです。
この深遠な教えの中には、無限の可能性が秘められており、それを学び、実践することで私たちは真に自由を得ることができるでしょう。そして、それぞれの歩みの中で、この教えの本質を理解し、他者と共にその恩恵を分かち合うことができるのです。
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