下駄も阿弥陀も同じ木のきれ
下駄も阿弥陀も同じ木のきれ
もとは同じ木から作られるものでも、一方は下駄、他方は仏像となって、末は上下の大差を生ずるというたとえ。人の出世の戒め。
人々よ、世の中において見かける様々なものが、実は同じ源から生まれていることを忘れてはならない。例えば、木は一つの根から発育し、その材である木材は無数の形を取ることができる。だが、一方では日常の用途に用いられる下駄となり、他方では人々が崇める仏像に姿を変える。同じ材木から生じたこれらの形は、一体の源を共有しているにもかかわらず、最終的な存在価値は大きく異なるのである。
この現象は我々人間の成長と歩みをも深く象徴しているのだ。幼い頃、誰もが同じように純粋で、可能性に満ちている。しかし、成長する過程で自らの選択や環境が大きな影響を及ぼし、異なる人生の道を歩むことになる。そして、成長の果てには、人々に崇められる存在となる者もいれば、何気ない日常の中で過ごす者もいる。それゆえ、私たちは常に自己の在り方を見つめ直し、行動と思いやりの心を持つことが大切である。
仏陀の教えによれば、全ての人々は本来、仏性を持っている。つまり、一人一人が仏となる可能性を秘めている。しかし、その可能性を開花させるためには、日々の生き方や行動が大きな役割を果たす。否定的な心や行為は、人を低い次元に導くことになり、一方で、慈悲と誠実な努力は我々を高い次元へと引き上げてくれるのだ。
だからこそ、世俗の誘惑や一時的な快楽に惑わされることなく、常に真理を追求し、他者を尊重し、自己の精神を高め続けることが求められる。すべての存在が同じ根源から生まれながら、どのようにその生命を形作り、どの幅広い世界に貢献するかは、自らの選択と努力によるものである。その真髄を理解することで、我々はよりよい未来を築き上げることができるのである。