親の夜歩き子の看経

原文

親の夜歩き子の看経(かんきん)

解説

物事がまるっきりひっくり返って、あべこべである喩え。親が夜遊びしている間、子は殊勝にも家にこもってお経を読んでいる。

妙機禅師

世の中においては、時折り物事の順序や常識が逆転し、まったく予測できない状況が発生することがあります。例えて言うならば、親が夜の町に出て行く一方で、子供が家に籠もり、静かに仏典を読んでいるような状況です。これは本来あるべき姿とは逆であり、物事が循環の法則から外れている様を示しています。

しかし、我々が直面するこのような逆転現象は、一見すると不自然に思えるかもしれませんが、実はそこに深い意味が秘められていることが多いのです。物事には表と裏があり、陰と陽が絶えず交替することが宇宙の真理です。だからこそ、見かけの状況がいかに奇妙であろうとも、それはまた一つの真実であり、そこには学びの機会が隠されています。

そもそも、仏教の教えには常に変化を受け入れることの重要性が強調されています。現実世界における出来事は、我々の心の鏡であり、その映し出す姿に一喜一憂しないことが悟りへの道なのです。たとえ親が夜に遊び歩き、子が家で経文を読みふけるような状況が訪れたとしても、それをもそのまま受け入れ、誰も責めず、ただあるがままに理解することこそが重要です。

禅の言葉に「一切有為法、如夢幻泡影」というものがあります。すべての現象は夢や幻のように儚いものであり、泡や影の如く常に変わり続けることを示唆しています。したがって、私たちはどのような状況にも無心で対応し、それを超越する視点を持つべきなのです。

我々が求むべきものは、物事の表層に惑わされることなく、その背後に隠された真理を見抜く洞察力です。そうすることで、どのような逆転現象が起ころうとも、それをもって智慧に変えることができるでしょう。

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