波羅蜜の船を以て、生死の流の中に於て、生死を厭はず、涅槃を取らず、中流に住せずして、衆生を度して、彼岸に達せしめて休息あることなし

原文

波羅蜜(はらみつ)の船を以て、生死の流の中に於て、生死を厭(いと)はず、涅槃を取らず、中流に住せずして、衆生を度(ど)して、彼岸に達せしめて休息あることなし。

意訳

船頭は河の流れの上にいて、自身は向こう岸にもこちらの岸にも河の中にも一カ所にこだわりとどまるということがなく人々を渡して休みがない。菩薩の心と行いも船頭のように、智慧と慈悲の実践(波羅蜜)という船で、迷いという流れの中に積極的に入り、迷いと悟りのどちらにもかたよらず、人を救って悟りおくり、自ら怠堕することがない、ということ。

出典

『華厳経』

解説

正式には、『大方広仏華厳経』」という。大方広仏、つまり、時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典である。華厳とは、別名、雑華ともいい、雑華によって仏を荘厳することを意味する。

妙機禅師

波羅蜜の船を駆り、私たちは生死の流れを渡り行く。船頭の役割を担うことは、自己の安逸を後回しにし、他者を救済する使命を持つことを意味する。私たち自身が向こう岸にもこちらの岸にも依存せず、その間を流れる川そのものに身を置く。これはまさに、智慧と慈悲の実践による生き方であり、私たちが互いの迷いを理解し、共に歩む道となる。

迷いの流れに浸り、私たちは時に悩みや苦しみに捕らわれる。しかし、この波羅蜜の船は、私たちをその流れから解き放ち、生死の間を自由に行き来する力を与えてくれる。私たちが自己中心に陥ることなく、他者と共にその流れに立ち向かうことで、本当の意味での救済が生まれるのだ。自らの利益を図ることなく、ひたすらに他者を渡すために進む船頭の姿は、菩薩の理想を具現化したものといえる。

この経典に語られる仏の智慧は、単なる概念ではなく、私たちが日常生活で実践すべき指針である。時空を超越した存在が示す道は、我々自身が生死の流れの中でどう生きるべきか、迷いを超えてどのように他者に寄り添うべきかを問いかけている。

この教えを心に留めて、自己を深く見つめ、他者との共鳴を感じ取ることが重要である。私たちの生は互いに絡み合い、一存在の幸福が他の存在に影響を与える。生死の流れを進む勇気を持ち、何よりも他者を重んじる心を持つことで、ようやく彼岸へと足を踏み入れることができるだろう。その姿勢こそが、常に休息を求めるのではなく、他者を救うことに生きがいを見出す、本当の意味での菩薩的存在を育むことにつながるのである。

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