毎日毎日、命懸けで修行して、十年単位でもってようやく一歩成長する
宮本祖豊(比叡山十二年籠山行満行者)
毎日毎日、命懸けで修行して、十年単位でもってようやく一歩成長する
人生には多くの試練があります。その試練を乗り越え、悟りを得るためには、一日一日の積み重ねが必要です。まさに「毎日毎日、命懸けで修行して、十年単位でもってようやく一歩成長する」という言葉が示す通りです。
仏教の修行とは、単なる自己成長の道ではありません。それは心の浄化、内なる平和を追求する旅でもあります。毎日の修行は、我々の心に根深く染みついた煩悩を少しずつ取り除く作業です。その過程において、我々は自らの限界に挑戦し、忍耐力と信念を培います。
例えば、坐禅を組むこと一つをとっても、最初は足が痛く、心が乱れがちです。しかし、毎日続けることによって次第に心が静まり、内なる自分と向き合うことができるようになるのです。それでも、一瞬の悟りを期待するのではなく、長い年月をかけて少しずつ成長する覚悟が必要です。
仏陀もまた、悟りを開くまでに長い年月を瞑想と修行に捧げました。彼の生涯は、私たちに対して辛抱強く努力する重要性を教えてくれます。我々が日々努力を重ねる中で、時に挫折や迷いが生じることもあるでしょう。その時こそ、この言葉を思い出してください。「十年単位でもってようやく一歩成長する」という視点は、短期的な失敗に捉われず、長い目で物事を見るための大切な教えです。
最後に、修行とは一人で行うものではありません。師匠や仲間との共鳴と支えが、私たちの心をさらに深める助けになります。共に歩む仲間の存在が、孤独を和らげ、さらに強い絆を作り出します。
このようにして、我々は長い年月をかけて命懸けで修行し、少しずつ成長し続けるのです。その先にあるのは、真の平和と悟りの境地です。日々の努力を忘れず、忍耐強く進むことが、私たちの人生の光となるでしょう。