一人は一切人なり、一切人は一人なり。一行は一切行なり、一切行は一行なり。十界一念、融通念仏、億百万遍、功徳円満
良忍上人(融通念仏宗開祖。1072~1132)
一人は一切人なり、一切人は一人なり。一行は一切行なり、一切行は一行なり。十界一念、融通念仏、億百万遍、功徳円満。
一人は皆のために、皆は一人のために。一人の念仏は他のすべての人のため、他のすべての人の念仏は一人のために。百人が百遍念仏を唱えれば、お互いの念仏が融通、共鳴しあって百万遍になり、その功徳は円満である。一と一切との関係は相依り、相扶(たす)けあって存在するから、自他の念仏が相互に力を及ぼしあって浄土に往生すると説く。
『弥陀の妙偈(仏勅)』
良忍上人が46歳の時、阿弥陀如来より受けられたという偈。良忍上人は集団で唱和する融通念仏でひろく諸国を布教して歩き、また魚山流声明を集大成した天台声明の中興の祖。
一人がすべての人を代表し、そしてすべての人が一人を成す。個々の行為は全体の中で意味を持ち、全体の行為もまた個々の中に宿る。このように、個人と全体は切り離すことのできない深い関係にある。一人の念仏が多くの人々に影響を与え、その訴えの響きは、さらに多くの念仏となって広がっていく。このように捧げられた思いは、やがて無限の力となり、私たちの心に充満していくのだ。
百人百様の思いで念仏を称えるなら、それぞれの声が交わり、一つの大きな声となって響き渡る。そんな集まりの中では、個々の努力が互いに支え合い、助け合って一つの目的へと向かう。念仏を唱えることは、単なる自らの救いにとどまらず、他者のためにもなる。そのため、個々の善行が調和を生み出し、安心とともに広がっていく様は、まるで互いの心が織りなす美しい布のようである。
この思想は、良忍上人によっても表現されている。彼は、念仏を通じて人々が共に救われ、平和を紡ぐことの大切さを説いた。彼の教えは、単独では成し得ない大いなる力を、団結と協力によって具現化するという形で、私たちに示されているのだ。互いの心を通わせ、念仏の力を分かち合うことが、浄土への道を開くと信じられている。
個々の行いがどんなに小さくとも、その影響は大きな波となって広がっていく。だからこそ、私たちは日々の念仏を大切にし、その思いの力を信じて前進していこうではないか。助け合い、思いやりを持って生きることで、自ずとそこには光が満ちるのだから。その道は、もしかすれば美しい浄土への一歩となるかもしれない。