布施というは不貪なり。不貪というは貪らざるなり
道元禅師(曹洞宗開祖。1200-1253)
布施というは不貪(ふとん)なり。不貪(ふとん)というは貪(むさぼ)らざるなり。
布施とはあまねく施すこと。あまねく施すとは、物惜しみする心を持たないということである。
『正法眼蔵』
道元禅師が、1231年から示寂する1253年まで生涯をかけて著した95巻に及ぶ大著。道元禅師が弟子たちに日々の修行における心構えや仏法の真髄を説示したもので、哲学や文学の分野でも高く評価されている。
布施の行いは、心に余裕を持ち、他者に対する思いやりを育むことである。この施しは、物質的なものだけに限らず、愛情や知恵、時間といった無形の贈り物も含まれる。他者のために何かを差し出す際に、大切なのは「惜しむ心」を取り除くことだ。この惜しむ心が存在する限り、真の意味での優しさや善意は薄れてしまう。物を与えることは容易だが、心を開いてすべてを受け渡すことは、言葉以上に深い意義を持つ。
このような心構えは、日常生活においても実践できるものである。例えば、誰かに助けを必要とされる場面に遭遇したとき、自らの時間や労力を厭わずに差し出すことで、布施の精神を体現することができる。物の豊かさを求めるのではなく、精神的な豊かさを求めることが重要であり、その結果として自身も豊かになっていく。
道元禅師が教えたように、布施は与えた物の大小に関わらず、全ての行いが仏法の実践である。その心を持って行動することで、周囲に広がる温もりが生まれる。自分の身の回りの人々や状況に対して、惜しみない心を持って接することが、自身の内面をも豊かにし、さらには世の中全体を明るく照らすことにつながるだろう。
布施は単なる行為ではなく、自らの心を磨く道でもある。この道を歩むことで、自分自身が成長し、他者との絆が深まることを実感できる。そうした行いこそが、真の幸福をもたらすと信じて、日々の中で実践していくことが大切だ。心を開き、惜しまずに与える。この姿勢が、実は私たちの生きる道をより良くするための鍵である。