諸有の善根は慈を根本と為す
諸有(もろもろ)の善根は慈を根本と為す。
よきことの種まきは慈しみの心を根本とするということ。慈とは、人の喜びを喜ぶことであり、そのために行動することである。
『涅槃経』
『大般涅槃経』。釈尊の最後の旅からはじまって、入滅に至る経過、荼毘(だび)と起塔について叙述する。
万物の中に善を育む土壌として、慈しみの心が重要であることを忘れてはなりません。私たちが行う善行や善意の行いは、他者の幸福を願う心から派生します。この慈しみの心は、他者の喜びを実感し、それを共に喜び合うことで育まれるものです。
たとえば、周囲の人々が幸せそうに笑い声を上げる姿を見ると、私たちの心も温かく満たされます。その喜びを共に分かち合おうとする気持ちが、瞬時に私たちの行動にも表れます。慈しみは、ただ単に自分の心を温めるものではなく、他者との繋がりを深め、共生の道を築く礎となります。
釈尊の教えの中でも、慈しみは最も根本的な徳とされており、これをもとに善根が花開くと説かれています。我々が持つ思いの一つ一つが、他者の人生に影響を与えていることを深く意識するべきです。意図した行動から発せられる善は、周囲に良い波紋を広げ、やがて自らに返ってきます。
また、慈しみを行動に移すことが、善の浸透を促進する鍵です。例えば、困っている人を見れば助ける、悲しんでいる人がいれば寄り添う、これらはすべて慈の表現です。日々の小さな親切が、持続可能な善の連鎖を生み出します。
このようにして我々は、釈尊の教えを受け継ぎながら、本来の幸福を求め、日々の暮らしの中で実践していくことが大切です。慈しみを根本に据えた行動がもたらす恩恵は、必ずや世界に平和をもたらすでしょう。相手の心に寄り添うことで、自らの心もまた洗い清められ、真の幸福へと導かれるのです。