或は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり
日蓮上人(日蓮宗宗祖。1222-1282)
或(あるい)は火のごとく信ずる人もあり。或は水のごとく信ずる人もあり。
火のように激しく信ずる人もいる。水のように静かに信ずる人もいる。燃えるような信心は、早く褪(さ)め退きやすい。水のように冷静な信心は、褪めることも退くこともない。
『上野殿御返事』
1265年、日蓮上人44歳の時に、鎌倉において書かれたもの。即身成仏、地獄即寂光の甚深の法門が説かれていることから『地獄即寂光御書』とも称されている。
信仰には様々な形があるが、その様式は火と水に例えられる。炎のように激しい信徒は、信念に満ちているが、その情熱はしばしば冷めやすい。彼らは深い感情の高まりの中で信仰を抱き、瞬間的な体験や霊的な啓示によって心を動かされ、それ故に一時的な影響を受けやすい。その熱意は時に他者をも引きつけるが、同時にその火が消えると、再び迷いに戻ってしまうこともある。
一方で、水のように穏やかな信仰を持つ人々がいる。彼らは静謐な心の内に深い理解を持ち、日々の生活の中でその信念を育んでいる。外的な変化に惑わされず、静かに流れる水の如く、ゆっくりと浸透し、いつしか心の奥深くに根を下ろしていく。そうした信仰は、いかなる困難にも耐え、生涯を通じて変わることがない。
日蓮上人は、こうした多様な信仰のあり方を示し、真理の教えを説いている。その中で瞬間的な感情に流されず、真の理解を目指すことが重要であると教えられている。結局のところ、信仰とはその激しさや穏やかさにかかわらず、真実に向かう道である。火のように燃え盛る意志も、水のように静かな思索も、信仰の一端であり、それぞれに価値がある。どちらの形であれ、心の底からの信念があれば、私たちは迷いを克服し、最終的に悟りへと至ることができるのだ。