人間一生で何を得るかは、何を懸けるかにかかっている
横田南嶺(円覚寺管長)
人間一生で何を得るかは、何を懸けるかにかかっている
確かに、人間の一生で何を得るかは、何を懸けるかに深く関わっている。仏教の教えでは、全ての行いには因果があり、その結果は必然的に我々の元に返ってくると説かれている。それゆえに、我々がどのような行動を選び、何に自己を懸けるかが、そのまま我々の得る結果を決定づける。
まず、何を得たいのかを明確にすることが重要である。多くの人々は幸福や成功を望むが、その具体的な姿は人それぞれ異なる。物質的な成功を望む人もいれば、内面的な平和や悟りを求める人もいる。仏教では、究極の目標は悟りに至ることであり、それを達成するために必要なのは菩提心を持って努力し続けることである。
何かを得るためには、それに対して相応の努力と献身が必要である。短い時間や少ない努力で大きな結果を期待するのは無理がある。たとえば、修行僧は悟りを得るために長年の修行や瞑想を行う。それは一朝一夕で成し遂げられるものではなく、真摯な心と持続的な努力が求められる。
また、正しい心持ちと道を選ぶことも大切である。仏教では、正しい見解や正しい行いを保つことが重要とされる。悪念や悪行を避け、善念と善行を追求することで、良い結果を得ることができる。これは、因果応報の教えに基づいており、善行には善果が、悪行には悪果がもたらされるとされる。
結局のところ、我々が一生で何を得るかは、何に自己を懸けるか、どれだけの努力と真摯さを持ってその道を歩むかにかかっている。仏教的視点から見れば、内面的な成長や悟りを目指す道に自己を懸けることが、究極の幸福を得るための最良の方法であると言えるだろう。