迷えば石木異なれど、悟れば氷水一つなり
元三慈恵大師良源(912-985)
迷えば石木異なれど、悟れば氷水一つなり。
煩悩や欲望に覆われた価値観の中では石と木は別だと認識するが、さとりの立場からみれば氷と水は本質において一つである。
『註本覚讃』
元三大師は、第18世天台座主として活躍し、日本天台宗中興の祖といわれる。「角大師」などとして庶民に広く信仰され、おみくじの元祖でもある。『本覚讃』は『蓮華三昧経』の文とされる七言八句の文で、本書はその注釈書。
私たちが日常生活の中で感じる様々な思いや欲望は、自然界のものを分断し、独立した存在として認識させます。石や木、という異なるものの世界を私たちは見ます。これらはそれぞれの性質や価値を持ち、まるで分かれた存在であるかのように思えるのです。しかし、この感覚が煩悩によって妨げられたものであることに気づくことが、さとりへと至る道です。
大師が教えたように、私たちが真に悟った時、全てのものはその本質において一つつながっていると理解できます。氷と水のように、一見異なるものが実は同じ源から生まれているのです。この理解は、偏見や先入観を超えた深い認識をもたらします。物事を深く見つめ、表面的な性質を超え、本来の姿を見出すことができるのです。
元三大師は、天台宗の教えを通じて、このような深い理解を私たちに示しています。彼の教えに従うことで、私たちは自己の本質を見極め、また周囲の人々や自然との一体感を感じることができるでしょう。全てが繋がり、すべてが同じ真理に帰するという認識は、私たちが瞑想を深め、心を静めるときに得られるものです。
錯覚に満ちた世界において、私たちはそれぞれの個性を尊重しながらも、同時にその裏にある大きな調和を見つけなければなりません。この見解が私たちの生き方において、愛と理解をもたらし、煩悩から解放されるための道を開いてくれるのです。さとりを得ることで、私たちは真実の一体性を体験し、氷と水のように、異なるものが同じ源であることを知ることができるのです。