むかいて愛語をきくは、おもてを喜ばしめ、心を楽しくす。むかわずして愛語を聞くは肝に銘じ、魂に銘ず

道元禅師(曹洞宗開祖。1200-1253)

原文

むかいて愛語をきくは、おもてを喜ばしめ、心を楽しくす。むかわずして愛語を聞くは肝に銘じ、魂に銘ず。

意訳

やさしい言葉を人から直接聞けば、顔も和む。人伝えにでもやさしい言葉を言ってくれたのを聞けば、深く謝し、肝に銘じて一生忘れない。

出典

『正法眼蔵』

解説

道元禅師が、1231年から示寂する1253年まで生涯をかけて著した95巻に及ぶ大著。道元禅師が弟子たちに日々の修行における心構えや仏法の真髄を説示したもので、哲学や文学の分野でも高く評価されている。

妙機禅師

ある日、山中で静かに坐っていると、遠くから聞こえる声に耳を傾けることができました。その声は、優しさに満ち、まるで春の光のように心に響きました。直接耳にしたその言葉は、私の顔に自然な微笑みをもたらし、心を穏やかに整え、生活の中の小さな幸せを再認識させてくれるものでした。こうした言葉は、ただの音ではなく、命の息吹が込められた温かな贈り物のように感じました。

しかし、遠くから聞こえてきた愛の声が、他者を通じて伝えられてくることもあります。たとえ直接の交流から生まれたものでなくとも、誰かの善意や思いやりが込められた言葉は、心に深い感銘を与えます。その瞬間、私はこの優しい言葉の本質を心に刻み、永遠に忘れることはありません。なぜなら、それは私にとって生きる力の源とも言えるからです。

このように日々の生活の中で、柔らかく響く言葉に耳を澄ませることは、仏教の教えにも通じます。苦しみや煩悩に満ちた世界に生きている私たちにとって、愛に満ちた言葉は一つの癒しです。それは、他者との繋がりを深め、感謝の気持ちを呼び起こしてくれます。また、他者からの愛の言葉を受け取ることで、自身の内面を見つめ直し、自己成長へと繋がるのです。

道元禅師が教えたように、心を開き、愛の言葉に触れることで、私たちの精神は豊かに育まれます。平穏な心を保ちながら、言葉の持つ力を理解し、日々の修行と組み合わせて生きていく。そんな毎日が私たちを成長させ、他者に恩恵をもたらすのです。愛されることはもちろん、その愛を他者に返すこともまた、私たちの責務であり、仏教的な生き方なのです。

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