占相をはなれて、正見を修福せしめ、決定して深く罪福の因縁を信ぜよ

原文

占相(せんそう)をはなれて、正見を修福せしめ、決定して深く罪福の因縁を信ぜよ。

意訳

不合理な迷信をうちはらい、正しいものの道理をわきまえ、自身の行為による因果を覚めた眼で見よということ。結果というものは原因があってのものである。自身の罪悪は、祈っても消えるものではない。すべて善悪の結果は自分自身が作るものである。

出典

『華厳経』

解説

正式には、『大方広仏華厳経』という。大方広仏、つまり、時間も空間も超越した絶対的な存在としての仏という存在について説いた経典である。華厳とは、別名、雑華ともいい、雑華によって仏を荘厳することを意味する。

妙機禅師

迷信や偶然の言い伝えに拘束されている心を解き放ち、正しい理解をもって行動することが求められます。そのためには、自らの行為の背後にある因果関係を深く掘り下げ、真実を見極める力を養う必要があります。何事にも必ず原因があり、その結果として返ってくるのです。そのため、自分の行動には責任を持ち、自らの行為が持つ影響力を理解しなければなりません。

私たちはしばしば、行動の結果をただ外部の力や運命に委ねてしまいます。しかし、実際には、私たちの目の前に現れるすべての現象は、過去の行為の結果であることを忘れてはなりません。哀れみや祈りによって罪が消えるわけではなく、自己の行動が善悪の結果を生んでいることを、私たちは認識しなければなりません。つまり、摂取される成果は、まさに自らの手によって編纂されるものなのです。

経典には、真理を求める者が直面する道が描かれています。この道は不変であり、過去、現在、未来を超えた知恵によって導かれています。私たちが仏の教えを通じて学ぶべきは、善行を重ね、悪行を避けることの重要性です。すべての結果は、過去の行いによって構成されていることを理解することで、より良い未来を築く指針となるのです。

ですから、目の前の出来事に翻弄されるのではなく、存在の根底にある法則を受け入れ、自らの内面を深く見つめることが求められます。自己を見つめ直すことで、我々は真実に近づき、より真摯な生き方へと導かれるでしょう。凡なるものの視点を離れ、覚醒した心で因果を感じ、平和な道を歩むことこそ、私たちの目指すべき姿であると言えます。

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