信ありて解なければ無明を増長し、解ありて信なければ邪見を増長す。信と解と円通してまさに行の本となる

原文

信ありて解(げ)なければ無明(むみょう)を増長し、解ありて信なければ邪見を増長す。信と解と円通してまさに行の本となる。

意訳

解とは理解のこと。信とは真心にまかせられること。この二つがそなわってこそ、真の行となるのである。

出典

『涅槃経』

解説

『大般涅槃経』。釈尊の最後の旅からはじまって、入滅に至る経過、荼毘(だび)と起塔について叙述する。

妙機禅師

信と理解は、仏道を歩む者にとって非常に重要な要素です。信じることができるだけでは、真実の体験には至りませんし、一方で理解があっても信がなければ、誤った見解に導かれる危険があります。このことは、私たちが仏教の教えを深く学ぶ中で常に意識しなければならない事柄です。

信じる心は、自己を超えて他の存在とのつながりを感じさせ、自己の枠を越えた理解を促します。それに対して、理解とは物事の本質を見抜く力であり、正しく判断する能力です。この二つが一緒に働くことで、まさに行動の原則となるのです。

『大般涅槃経』においても、釈尊の教えを受け継ぎ、彼の智慧をより深く理解することが求められています。信は彼の教えを受け入れるための基盤となり、理解はそれを実践する力を与えます。このように、信と理解が一体となることで、私たちは真理に近づくことができるのです。

私たちの日常生活においても、この信と理解のバランスを保つことが大切です。厳しい状況に直面したとき、信じる力によって困難を乗り越えることができ、同時に理解があれば過ちを避け、新たな方向を見出すことができます。この教えを心に刻み、仏道を歩む過程を大切にすることで、いつか私たちも釈尊の如く、真理を悟ることができるでしょう。

信と理解を共に育み、そしてその両者を円滑に結びつけることで、私たちの行は深まり、より豊かなものとなるでしょう。これが真の道のりであり、私たちが最終的に目指すべき境地なのです。

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