直饒我れ道理を以て道うに、ひと僻事を云うを理を攻めて云い勝つは悪しきなり
道元禅師(曹洞宗開祖。1200-1253/懐奘撰)
直饒(たとえ)我れ道理を以て道(い)うに、ひと僻事(ひがごと)を云うを理を攻めて云い勝つは悪しきなり。
こちらが正しいからといって、相手の非を理屈で追い責めて打つ勝っても、恨みを残すことになって、よい結果にはならない。
『正法眼蔵随聞記』
道元禅師の弟子で、後に永平寺第2代住持となった懐奘禅師が道元禅師の説き示されたことを筆録し、書物にまとめたもの。
他者との関係において、正しい意見や立場を持っていても、それを無理に押し付けるような態度は慎むべきである。相手の意見を理屈で攻撃し、こちらの正しさを証明しようとする行為は、結局のところ対立を深め、誤解や恨みを生むことになる。たとえ自身が道理を知り、それを用いて正しいと信じることを主張しても、相手の心には痛みを与えることが多い。
このような考えは、道元禅師の教えの中に深く根付いている。仏教の教えは、真理の追求に重きを置くが、それを伝える際には思いやりや慈悲の心を忘れてはならない。正義を主張することは大切ではあるが、その手法により他者との和を保つ努力がなければ、真の道理を伝えることはできない。
他者の意見や感情を尊重することは、仏教の根幹でもある。多様な価値観が共存するこの世界では、異なる考えを持つ人々との対話が不可欠である。対話を通じて生まれる共感や理解こそが、真の価値であり、最終的な和解や成長の基盤となる。
このように、物事を論じる際には、冷静さを忘れず、相手を受け入れる心持ちが大切である。自分の信じる道理を伝えることは素晴らしいが、それが他者の心に光をもたらす形で行われなければならない。あくまで心を開き、他者との調和を図る姿勢こそが、深い理解を生む道であるといえる。