身は独落のごとく、口は春蛙のごとく、心は風灯のごとく、散逸を以ての故に、法、現前せず
天台大師(中国天台宗開祖。538-597)
身は独落のごとく、口は春蛙のごとく、心は風灯のごとく、散逸を以ての故に、法、現前せず。
体は独楽(こま)のように忙しく回り、口は春の蛙のように鳴き続け、心は風前の灯火のように消えそうな、そんな散り散りと乱れた生活をしていては、真実を見つけることはできない。
『摩訶止観』
天台大師智顗は、中国・陳隋時代の僧。『摩訶止観』は『法華玄義』『法華文句』と共に天台三大部に数えられ、中国仏教史上、最大かつ最も詳細な禅の観法の手引書と評価されている。
私たちの日常生活は、まるで勢いよく回る独楽のようです。体はつねに何かに追われ、次から次へと目の前の事柄に忙殺されています。その忙しさに気を取られ、心はまるで春の蛙のように無意味に鳴き続け、何を大切にすべきかを見失ってしまっています。そして、心の中の思考は、風に揺れるかすかな灯火のように、一瞬の内に消えかかっているのです。このように、私たちの生活は散逸しており、真実の法を読み解くことができずにいます。
真理を求める道は、まず自らの内面を見つめ直すことから始まります。体を動かすことが多い現代において、意識的にその動きを止めて静寂の中に身を置くことが求められています。音や刺激に溢れた環境の中で、静寂を見つけることで心も落ち着き、内なる声に耳を澄ませることができるでしょう。
この静けさの中で、初めて私たちは自己との対話を深め、真実の教えがどのように自分に影響を与えているのかを理解することができます。日常の雑念を手放し、自分自身を内観することで、はじめて心の明かりを見つけ出すのです。智顗大師が示した道を辿ることで、私たちの生活は新たな次元へと移行します。
したがって、自らの立ち位置を改め、体、言葉、心のそれぞれが調和を保つよう努めることが、法を現前させるための第一歩です。精神が安定し、真実の光に導かれることで、私たちの存在はより豊かに、満ち足りたものとなるでしょう。心の整え方を学び、真実の教えを日々の営みに取り入れることで、散逸からの解放への道が開けるのです。