生ける時、善を作さずんば、死する日、獄の薪と成らん

伝教大師最澄(天台宗宗祖。767-822)

原文

生ける時、善を作(な)さずんば、死する日、獄(ごく)の薪(たきぎ)と成らん。

意訳

生きているうちに十善(不殺生・不偸盗・不邪淫・不妄語・不両舌・不悪口・不綺語・不貪・不瞋・不痴)を行わなければ、死ぬ時は地獄で焼かれる薪のようになるだろう。

出典

『願文』

解説

伝教大師が東大寺戒壇院で具足戒を受けて比丘となった直後、比叡山に入って、仏教者としての誓いを著したもの。世間の無常、善因善果・悪因悪果、人身の得難きこと、自己への反省、大乗菩薩僧としての誓願について記している。

妙機禅師

生きとし生けるものは、常に自らの行いを省みるべきである。時は止まることなく流れ、私たちはその中で日々を過ごしている。しかし、この貴重な一瞬一瞬を善行に向けず、不善に身を任せてしまえば、最終的にはその結果を背負うことになるのだ。

我々がこの世に生を受けているのは、単なる偶然ではない。仏教においては、人間の姿を得ることは非常に難しいとされ、それ故に私たちには特別な使命がある。善い行いや思いやりをもって人々と接することで、未来の幸せな結果を生み出すことができるのだ。それは、誰もが目指すべき道であり、自己を高め、他者を助けるための重要なステップとなる。

もしこの生を善に使わず、ただ無駄に過ごすだけであれば、死後に迎えるものは自らの行動によって選択される。まるで死後に地獄の炎で焼かれる薪のように、過去の行いによって決まった運命を受け入れることになってしまう。それは恐ろしいことであり、自身を責めることにもつながる。

このように、自らの行動を懸命に考え、正しい選択をすることが極めて重要である。そして、善を行うことで、心が豊かになり、他者との絆も深まっていく。この生を無駄にせず、善因を生み出すことは、未来への希望を築くことにもつながるのだ。

故に、日々の小さな行動が集まり、やがて大きな結果を生む。無常の世界にあって、私たちは自らの行いを通じて真の意味での満足感を得るために進んでいくべきである。心の奥深くに抱く、他を思いやる気持ちを大切にし、今日こそ善を為す瞬間であると意識しよう。

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