我終に世間と諍はず。何を以っての故に。世智に有と説かば、我も亦有と説き、世智に無と説かば、我も亦無と説く

原文

我終(つい)に世間と諍(あらそ)はず。何を以っての故に。世智に有と説かば、我も亦有と説き、世智に無と説かば、我も亦無と説く。

意訳

世間の人々にさからわないのである。相手の主張を容れ、すべてよしよしと認めておいて、そこに過ちがあれば、相手の自尊心をきずつけず上手に正しい方向を教えてあげるのが真の教師である。母親が駄々っ子をあやす心である。

出典

『涅槃経』

解説

『大般涅槃経』。釈尊の最後の旅からはじまって、入滅に至る経過、荼毘(だび)と起塔について叙述する。

妙機禅師の教え

仏教の教えには、他者との争いを避け、その意見を尊重し、適切に導くことが重要であるとされています。これは、人々の意見に耳を傾け、それが賢明なものであってもそうでなくても、対立することなく理解する心を持つことが求められるからです。例えば、子供が母親にわがままを言うとき、母親はただ単に否定せず、その気持ちを受け入れつつ、最適な方向へ導こうとします。このような愛情と共感の心こそ、仏教の教えが目指すものです。

これは大乗仏教経典『大般涅槃経』に根ざした教えであり、釈尊が涅槃に至るまでの過程を通じて示されています。釈尊は、人々の心の動きをよく理解し、その自尊心を傷つけずに真実を伝えることの重要性を説きました。これは、単に知識や理論を押し付けるのではなく、相手の心に共鳴しながら導くことで、真の理解と和合を築くことができるという考え方です。

また、この教えは、自己のエゴやプライドを捨てることを強調しています。他者の意見がたとえ自分と異なっていても、それを受け入れる寛容さと柔軟性を持つことが、真の智慧者の態度です。これにより、無駄な争いや対立を避け、平和と調和の中で生きることができます。

つまり、大切なのは、他者の意見を尊重し、共感と愛情を持って接することであり、それが安らかな生活と真の智慧へと導いてくれるのです。これは現代社会においても、非常に有用な心の姿勢であり、我々一人ひとりが心に留めておくべきものです。

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