我れ生まれてより以来、口に麁言なく、手に笞罰せず。今より我が同法よ、童子を打たずんば、我がための大恩なり。努めよ、努めよ

伝教大師最澄(天台宗宗祖。767-822)

原文

我れ生まれてより以来(このかた)、口に麁言(そごん)なく、手に笞罰(ちばつ)せず。今より我が同法よ、童子を打たずんば、我がための大恩なり。努めよ、努めよ。

意訳

私は生まれてこのかた、荒々しい言葉を発することもなければ、人をむち打ったこともない。私の仲間たちよ、これからも使用人を打つようなことをしないでいてくれたら、私はこの上なく有り難い。努めて精進しなさい。

出典

『御遺誡』

解説

伝教大師は遷化される間際の弘仁13年(822)4月、弟子たちに向かって遺言をされた。翌年6月4日(822)、比叡山の中道院で遷化。没後7日目、大乗戒壇の設立が勅許され、貞観8年(866)、「伝教大師」の諡号(しごう)が贈られた。

妙機禅師

比叡山の中道院で、伝教大師最期の時に、弟子たちに向かって遺した教えは深い意義を持ちます。伝教大師が説かれたのは、他人に対する言動の慎重さと慈悲でした。大師は生涯の間、粗暴な言葉を発することなく、他者を物理的に傷つける行為もしませんでした。そのような生き方を示すことによって、弟子たちに対しても同じ道を歩むよう促しています。

大師の戒めの中でも特に注目すべきは、力を行使することなく周りの人々に対する思いやりと敬意を持つことの重要性です。彼は力で相手を屈服させるのではなく、慈悲と理解によって関係を築くことを重視しました。弟子たちに対しても、他者、特に下位に位置する者たちに対して情け深く接しなさいと諭しました。これは大師がよく知っていたように、真の指導とは愛情と理解に基づくものであり、力と恐怖に基づくものではないという悟りから来ています。

また、この教えは、ただの道徳的な規範に留まらず、仏教の根本的な原則である「非暴力」を具体的に実生活で実践する方法としても捉えることができます。大師が遺した言葉に込められた意味は、他者に対する優しさと思いやりの心を持つことが、人生の中で最も大切な教えであるということです。彼の言葉が響くのは、彼自身がその教えを率先して実践したからです。

このようにして、伝教大師の教えは、時を越えて現代でも私たちにとって重要な指針となります。彼の示した生き方を追い求めることによって、我々もまた、より高い慈悲と理解の境地に達することができるでしょう。

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