国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす。故に古人の言わく、径寸十枚これ国宝にあらず。一隅を照らすこれ則ち国宝なりと

伝教大師最澄(天台宗宗祖。767-822)

原文

国宝とは何物ぞ、宝とは道心なり。道心ある人を名づけて国宝となす。故に古人の言わく、径寸十枚これ国宝にあらず。一隅を照らすこれ則ち国宝なりと。

意訳

国の宝とはなにか。宝とは、道を修めようとする心である。この道心をもっている人こそ、社会にとって、なくてはならない国の宝である。だから中国の昔の人はいった。「直径三センチの宝石十個、それが宝ではない。社会の一隅にいながら、社会を照らす生活をする。その人こそが、なくてはならない国宝の人である」と。

出典

『山家学生式』

解説

伝教大師が日本天台宗を開かれるに当たり、「一隅を照らす国宝的人材」を養成したいと、熱意をこめて著述されたもので、比叡山で12年間籠山修行を行わせることを規定している。

妙機禅師

社会における真の宝とは何か、それは物質的な富ではなく、心の修行を重ねる人々の存在です。その道を求める心、すなわち「道心」を持つ者こそが、私たちの社会に真に不可欠な存在なのです。道心を持つ者は、その行動と存在によって周囲を明るくし、他者にも影響を与える力を持っています。

中国の古代の賢者たちもこのことを深く理解していました。彼らは、たとえ珍しい宝石がいくつあろうとも、それが真に貴重なものとは見なさず、自らの道を修め、周囲を照らし続ける人こそが本当の価値を持つと説きました。これこそが、名実ともに「国の宝」であると考えたわけです。この視点は、物質的な豊かさを超えて、人間の内面的な成長とその席での行動が重視されるべきであるということを強調しています。

伝教大師もまた、日本天台宗を開いた際に、この考えを重視しました。彼は、社会全体に貢献し、人々の心に光をもたらす「国宝的人材」を育成することに並々ならぬ情熱を込めて取り組みました。比叡山での12年間の籠山修行は、この一環であり、修行者が自らを磨き、頭脳と心を鍛え上げることで、社会全体に善影響を与えることを期待したのです。

こうして、心の修行を通じて高い人格と洞察力を育てた人々は、まさに社会の底辺から頂点まで、一隅を照らす光となり得るのです。このような人々こそが、真に価値ある国の宝であり、それぞれの場所で人々を導き、励まし、社会全体に持続的な平和と繁栄をもたらす存在です。

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