因なくして果を得るはこの処りあることなく、善なくして苦を免るるはこの処りあることなし
伝教大師最澄(天台宗宗祖。767-822)
因なくして果を得るはこの処(ことわ)りあることなく、善なくして苦を免るるはこの処(ことわ)りあることなし。
原因がなければ結果は生まれることはない。善い行いをしていないのに、苦しみから逃れられるはずはない。
『願文』
伝教大師が東大寺戒壇院で具足戒を受けて比丘となった直後、比叡山に入って、仏教者としての誓いを著したもの。世間の無常、善因善果・悪因悪果、人身の得難きこと、自己への反省、大乗菩薩僧としての誓願について記している。
因果の法則は、私たちの行動とその結果を厳密に結びつけています。物事には必ず原因があり、それに応じて結果が生じるという真理が存在しています。私たちは日々の生活の中で、無意識のうちにこの法則に従って行動していますが、時にはその影響を忘れがちです。たとえば、何の努力もせずに良い結果を期待することは難しいということを、多くの人が理解していながら、実際には自分の行動を見直すことができない場合があります。
また、善悪の行いに関連する結果についても、注意深く考えなければなりません。もし私たちが善い行動を怠れば、そこに苦しみが生じるのは当然のことです。人は平穏な心を求め、苦しみから逃れようとしますが、その道は自らの内にある善い行いや誠実な行動によってのみ切り開かれます。このような考え方は、仏教の根幹にある教えの一つであり、自己がどのように生き、どのような行いを選択するかによって、人生が形成されることを示しています。
このことを理解することで、私たちは自己を省みる機会を得ます。日常生活の中で、自分の行動がどのように自分自身や他者に影響を与えているのかを常に考えることが重要です。そして、それを通じて大乗菩薩としての道を歩むべく、他者の幸せをも考慮する誓いを胸に抱く必要があります。
無常の世界において、因果の道理を忘れてはなりません。良い因を蒔くことが、未来の果実を育てるための唯一の道であることを深く心に刻み、日々の生活に活かしていきたいものです。私たちが善い行いを通じて得られる心の平安は、ゆっくりとした歩みとなりますが、確かな実を結ぶことでしょう。