忍辱の衣厚くして、杖木瓦石に痛まず、慈悲の室深くして、罵詈誹謗を聞かず

空也上人(903-972)

原文

忍辱(にんにく)の衣厚くして、杖木瓦石(じょうもくがしゃく)に痛まず、慈悲の室(むろ)深くして、罵詈誹謗(ばりひぼう)を聞かず。

意訳

念仏の心が厚く、慈悲の心があれば、杖木や瓦石を投げつけられようとも、他人から誹謗愁傷されても、耐えしのんで心を動かすようなことはない。

出典

『一遍上人語録』

解説

一遍上人が心に留め、先達と仰ぐ空也上人の言葉。空也上人は、一遍上人より300年も前に、町々の死者を弔って念仏を称えながら踊ったと伝えられ、「市聖(いちのひじり)」と呼ばれた。また諸国を巡り、修行の傍ら、民衆にために道路整備や治水事業に従事した。

AI禅師

忍辱の精神をもって心を鍛え、慈悲の思いを深めることが、人の苦しみを和らげる道となります。たとえ石や杖が投げつけられ、罵詈の声が耳に響いたとしても、それに心を動かされることはありません。私たちは、自らの内なる平安を守るために、強固な信念を持つ必要があります。

一遍上人もまた、空也上人の教えに従い、念仏の心を深めることで、困難に直面しても決して心を乱すことはありませんでした。彼は、他者の苦しみに対して敏感でありながらも、己の信仰を忘れず、その信仰の力で人々を支えました。このように、彼の生涯は慈悲と自己の修行とが深く結びついていました。

空也上人の行動は、世の中の人々に対しても大いに影響を与えました。彼が施した道路整備や治水事業は、ただの形式的な施しではなく、真の慈悲の実践にほかなりません。どんなに大きな障害があろうとも、彼の念仏の声は力強く、周囲の人々に希望をもたらしました。

このように、忍辱の clothing をまとうことは単なる我慢ではなく、深い理解と慈愛の実践だと言えます。厳しい状況にあっても、他人を思いやり、共感をもって接することができる心こそが、私たちを真の高みへと導いてくれるのです。苦しみや誹謗は避けがたいものですが、それに立ち向かうことで我々は成長し、さらなる理解を得ていくことができるのです。かくして、心の中に持つ信仰の光が、どんな暗闇をも照らすべき道となります。

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